多次元に生きる――人間の可能性を求めて』

オルダス・ハクスリー[著]、片桐ユズル[訳]

1,680円(税込)

ISBN978-4-434-14274-1 C0011
多次元に生きる――人間の可能性を求めて

汚染されない認識、全的な気づきは、どのようにして可能だろうか?


二十世紀の大知識人オルダス・ハクスリーは、本書に収録された二回の講演と三つのエッセイを通じて、人類生存のために必要なエッセンスを古今東西にわたる博識から抽出して活性化させることを提案している。
〔本書の主な内容〕
●人間の潜在的可能性
●両生類の教育――両生類の教育/アレクサンダー・テクニーク/視覚教育/自律神経/霊的洞察
●知ることと、さとること
●愛のヨガ――「抑制性交」/タントラ
●幻視的経験
●オルダス・ハクスリー小伝
●付録――中川・ユズル対談

オルダス・ハクスリー生誕百年祭について:中川吉晴が聞き、ユズルが話す

◎大会前夜――宿泊先のハルさん宅にて

◎生誕百年祭

◎百年祭を終えて――五月一日・ロサンゼルス空港および機中にて

●ハクスリーとの出会い――訳者あとがき
《本文からの引用》
すべての良い考え、良い感情、良い意志は、つまるところ良い認識から出て来ます。
わたしは……気づきを高めるということは絶対的に善であると思います。(以上、「人間の潜在的可能性」より)

人間はだれでも両生類です。……ひとりひとりの人間は、五〜六種類の両生類を束ねて、ひとつの両生類にしたようなものです。(「両生類の教育」より)

全体的気づきのはじまりは、……わたし自身の無知と無力を実感することです。……しかし心をひらいて受けいれれば、これらの事実は平和の源となり、落ち着きと上機嫌をもたらします。新しい状況に対して古い条件づけで反応してはなりません。過去の異なった出来事にもとづいた概念に照らし合わせるのではなく、……生まれたばかりの赤ちゃんのように真っ裸の意識でもって反応しなくてはなりません。(以上、「知ることと、さとること」より)

ここでは身体のやさしさが「抑制性交」によって長引かされ、ほとんど神秘体験となることが垣間見られます。(「愛のヨガ」より)

意識的には幻視の能力のないひとであっても、 無意識的には何かそれっぽいことを感じているのです。身体の化学的変化を誘導することによって、ふつうの日常的自己と、精神の奥深くにある幻視の世界を隔てている扉を、開けてしまうことがあります。(以上、「幻視的経験」より)
〈著者紹介〉
オルダス・ハクスリー(Aldous Huxley)
英国生まれの著作家(1894-1963)。第1次大戦後の前衛的文学者として知的風刺的な作風でもてはやされた。未来小説『すばらしい新世界』(1932)、精神拡大の実験記録『知覚の扉』(1954)などで知られる。 晩年はエコロジー危機と、それに対する人間の内面的改革の必要性を説いて精力的に講演してまわり、それらの考えは小説『島』(1962)と、連続講義『人間の状況』(1977)にまとめられている。
〈訳者紹介〉
片桐ユズル(かたぎり・ゆずる)
1931年、東京生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士。 京都精華大学名誉教授。GDM英語教授法研究会会員、アレクサンダー・テクニーク・インターナショナル公認教師。著書:『意味論入門』(1965)など。 編著:『ほんやら洞の詩人たち』(1979)、『オルダス・ハクスリームム橋を架ける』(1985)など。訳書:フォン・アーバン『愛のヨガ』(1982)、ハクスリー『島』(1980)、『ハクスレーの集中講義』(1983)など。
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