『ボームの思考論― 知覚を清め、洞察力を培う ―』
デヴィッド・ボーム[著]、大野純一[訳]
定価(本体2,200円+税)
ISBN978-4-434-22758-5 C0011
稀有の科学者が思考の本質に迫る
本書は、1990年11月31日から12月2日にかけてカリフォルニアのオーハイで開催された、連続5セッションから成るセミナーの録音を書き起こし、ボーム自身が編集した上で刊行したものである。
ボームは、システムとしての思考≠フ構造・性質・本質を、参加者たちとのQ&Aを通して探究し、それが人類が直面している危機にどのように関わっているのか、解決への糸口はあるのか、等々について、ダイアローグ≠竍自己知覚≠含む様々な角度から懇切丁寧に解説している。
本書において理論物理学者デヴィッド・ボームは、個々人のアイデンティティについての内省から、許容可能な文明を形作るための集合的努力まで、人間の営為のあらゆるレベルでの思考と知識の役割を主題として取り上げている。最初に『全体性と内蔵秩序』中で提起された精神と物質の諸原理について詳しく述べたボームは、思考過程は外界の中のあそこにある℃抹ィについて中立的に報告するという考えを退ける。彼は、その中で思考がわれわれの知覚形成、意味の感覚および日常的行為に能動的に関与する仕方を探査する。彼は、集合的思考と知識があまりにも自動化されてしまったので、われわれはそれらによって大部分コントロールされており、その結果真正さ、自由および秩序を喪失するに至っている、と示唆している。(「諸言」より)
こういったすべてのトラブルの元凶は何なのでしょう?わたしは、その源は、根本的に、思考の中にあると申し上げています。多くの人は、そのような発言は気違いじみている、なぜなら、思考は、わたしたちが問題を解決するために持ち合わせている当のものだからだ、と思うことでしょう。そういう思い込みはわたしたちの伝統の一部なのです。けれども、わたしたちが自分たちの問題を解決するために用いる当のものが、それらの問題の元凶であるように思われるのです。それは、医師に診てもらいに行って、かえって彼にあなたを病気にさせるようにするようなものです。事実、診療例の二〇パーセントにおいて、わたしたちはどうやらそういう目に遭うようなのです。が、思考の場合には、それは二〇パーセントを優に超えているのです。
わたしたちの問題の原因がわたしたちに見えない理由は、それらを解決するためにわたしたちが用いる手段がそれらの原因だからだ、とわたしは言っているのです。それが初耳である人にとっては、それは奇妙に聞こえるかもしれません。なぜなら、わたしたちの全文化は思考をその最高の達成物として誇りにしているからです。わたしは、思考の達成物が取るに足りないと示唆しているわけではありません。技術、文化、およびその他の様々な仕方で非常に偉大な達成物があることは確かです。が、思考には、わたしたちの破壊に行き着く他の側面があり、わたしたちはそれを調べてみなければなりません。
では、思考のどこが問題かについてお話したいと思います。
(本書「第1セッション」より)
■ デヴィッド・ボーム (David Bohm)
1917年、ペンシルベニア州ウィルクスバリで、ハンガリー系の父サミュエル・ボームとリトアニア系の母のユダヤ系家庭に生まれた。ペンシルパニア州立大学、カリフォルニア工科大学、カリフォルニア大学で学ぶ。1943年に博士号を取得、1961年以来、ロンドン大学の理論物理学科の主任を務める。ニューサイエンスの理論的バックボーンとして多くの共鳴者を得、特に量子力学から探究された全体性の動的描像は、注目を集めた。
晩年にかけて「対話」に関心を持つようになり、On Dialogue(邦訳『ダイアローグ』(英治出版)を書いた。他にOn Creativity(邦訳『創造性について』(コスモス・ライブラリー)、 Fragmentation and Wholeness(邦訳『断片と全体』工作舎) 、 Wholeness and the Implicate Order(邦訳『全体性と内蔵秩序』青土社)、 Quantum Theory(邦訳『量子論』みすず書房)がある。
また、J・クリシュナムルティ著『生の全体性』(平河出版社)で精神分析医デヴィッド・シャインバーグを交えての討論に参加し、同じくクリシュナムルティ著『真理の種子』(めるくまーる社)と『時間の終焉──J・クリシュナムルティ&デヴィッド・ボーム対談集』(コスモス・ライブラリー)ではクリシュナムルティと対談している。
1992年に逝去。