第8回
同一化のプロセスは……人生に影響を及ぼすもっとも重要なものの一つである。それは、あなた自身のことを、ありうるあなたという存在のうちのほんの小部分として定義(限定)するプロセスである。「これは私だ!」的特質が付加される同一化の対象──事物、人々、主義主張、概念、等々──の特定の性質や特質には、さしあたり、あまり関心を払うことなく、このプロセスを考察してみよう。……さしあたり、同一化の対象にあまり関心を払う必要がないという一つの理由は、このプロセスが非常に強力で広く浸透しているので、人はどんなものとも同一化することができると私はうすうす感じているからである。あなたの名前、あなたの身体、あなたの所有物、あなたの家族、あなたの仕事、あなたの仕事で使う道具、あなたのコミュニティー、「主義主張」、国、人類、惑星、宇宙、神、あなたの指の爪、新聞記事に出てくる犠牲者……人が同一化してきたもののリストは際限がない。
ワークショップで同一化を例証を示するため、私は時々、床の真ん中に紙袋を置く。けれども、その袋にはなんら特別なものはない。空のダンボール箱でもいっこうにさしつかえないのだ。私はそれから、ワークショップの参加者たちに、その袋をじっと見つめ、それに注意を留め、その袋と同一化するように努め、それのことを「私のものだ!」と考え、その袋を愛し、参加者たちが自分自身の世話をするのと同じ仕方でそれの世話をするよう求める。これは、なんら複雑な催眠誘導でも瞑想手順でもない。私はただこれについてさりげなく話し、一分間に二、三回、指示を繰り返すだけである。参加者たちは、普通は不随意的な同一化のプロセスに、なんらかの随意的な支配を及ぼすよう求められ続けるのである。
物質界あるいは自分自身の心の中の何かに同一化することに固有の困難は、現実は変化し続けるということである。現実は果てしない変化をこうむる、と多くの哲学者および霊的伝統は指摘してきた。したがって、あなたが何かと同一化する時、その何かは変化していき、あなたがそれと同一化した時には、元のままに留まってはいない。あなたは、自分が同一化した対象の現実がもはや同じではないので、結局は失望することになるであろう。「彼/彼女は、私が結婚した時のあの素晴らしい人ではない。彼/彼女は変わってしまったのだ!」という嘆きを、われわれはいかにしばしば耳にしてきたことか。……
「私!」である身体は病気にかかり、年を取り、やがては死ぬ。私の愛車は故障する。私の所有物はこわれ、ぼろぼろになり、盗まれるかもしれない。私は過去の出来事についての自分の記憶にすがりつこうとするかもしれないが、しかし記憶は薄れ、他の人々はその出来事が本当に起こったかどうか疑うかもしれない。
同一化の二番目の主要な代価は、あなたが自動的に同一化する物事および役割のほとんどは、そもそも、あなたが選んだものではなかったという事実から来る。文化適応のプロセス、合意的トランス誘導の一部として、あなたは、あなたの本質にとってはほとんどあるいはなんの関心もなかったかもしれない、あるいは本質に反してすらいた多くの役割、観念、人々、主義主張、および価値と同一化するよう、うまく丸め込まれ、条件づけられたのである。……
人々は、一般に、晩年になってからこれらの不本意な同一化の側面を発見する。あまりにもしばしば、われわれは次のような話を耳にする。「私は自分を無理やり法科大学に合格させ、二十年間法律を生業としてきた後、ある日、自分が本当は法律に全然興味がないことに気づいたのです。私の両親は、常々、ただただ私が父の志を継ぐことを期待していました。私の中の何かがそれに伴うストレスを常に嫌っており、私は潰瘍や高血圧にかかりました。私は、人生の大半を自分が嫌いなことをすることに費やしてしまったのです!」