コラム〜読書雑記〜

第7回


筆者は、今日本トランスパーソナル学会の事務局の「ニュースレターVol. 5 No. 1」(1999年9月発行)の制作作業を終えたところです。この学会は、ご存じのようにサングラハの関連団体でもあり、特に最近会長の諸富さんが『トランスパーソナル心理学入門』(講談社現代新書)を出したのがきっかけでかなり勢いが出ており、AERAの女性記者からも諸富さんに会見の申し入れがあるなど、ようやく社会的関心を集め始めたようです。その最新ニュースレターの巻頭言で副会長の藤見幸雄さんが次のように述べています。


トランスパーソナル心理学が語られる時、自我の確立とその超越ということが問題にされることが多いように思います。そしてこの超越とほぼ同義語で使われるのがスピリチュアリティ(精神/霊性)。しかしその時、ソウル(魂)はどうしてしまったのでしょうか。スピリチュアリティの下位段階あるいは影に過ぎないのでしょうか。トランスパーソナルの分野では、自我や霊性に比べて魂が話題にされることは圧倒的に少ない。されたとしてもスピリチュアリティと混同される場合がほとんど。


魂というと何かじめじめとした暗闇にうごめくものを想像させたり、おどろおどろしい感じがしたり、一方では大変高貴なものを喚起させたり。そういったとらえどころのなさが、魂について語るのを躊躇させるのでしょうか。


西洋人の考えるソウルと、日本人にとっての霊魂、「未開」社会におけるスピリット(精霊)とは同じなのでしょうか、異なるのでしょうか? ……学会の連続講座をご覧いただくとわかるように、トランスパーソナル内において周辺に追いやられがちな魂に、私たちは気持ちをしっかりと向けはじめています。学会員の皆さんと共に、「魂の視点」から、自我や自己超越、スピリチュアリティについて、考えたいと願っています。



文中の連続講座のひとつは、実は「“魂”とはなにか」というテーマで、藤見さんとサングラハの講師の松永さんとの対談なのです。残念ながら、9月22日のことなので、皆さんにこの号が届くころには終わっているでしょうが、“魂”という古めかしい言葉が徐々にではありますが時代のキーワードになりつつあるということをお知らせしたかったのです。また、筆者のこの連続エッセイも、まるで“さまよえる魂”のように本題から離れているように思われるかもしれませんが、実ははからずも時代の深層潮流に“シンクロ”していたようです。


さて、前回、男性にとってだけでなく、女性にとっても、女性性=魂をないがしろにすることは虚しさと絶望の深淵の口を開くことにつながりうるということに言及しました。しかし、魂を見直し、それを養うことの必要に気づいたとしても、現代社会ではそれは非常に難しいのではないか?『宗教を超えて(スピリチュアル・レボリューション)』の著者エルキンスは、その問題に直面した女性の好例として三十五歳の成功したビジネスウーマンの話を紹介しています。


彼女は、自分の魂により多くの注意を払えば払うほど、ずっしりと男性的価値に合わせられている自分の職に留まることはますます困難であることを見出した。目に涙を浮かべて、彼女は自分のジレンマを述べた。「時々私は、本当に私の魂を養成してくれる週末のワークショップやその他の活動に出かけます。それから私が仕事に戻ると、私の職務は受け入れにくく、消化しにくいのです。それはあまりにも頭に合わせられているので、それをするためには、自分の魂を後回しにしなければならないのです。もし私が自分の魂と接触し続けようとすると、私はいかに自分の職務を嫌っているかに気づくようになり、また、もちろん、そのように思っていたらそれをうまくやりこなせません。どうしたらいいかわかりません。高収入を得てはいますが、しかし私の魂は内側で死につつあるのです」。


では、この種の状況について、女性には何ができるでしょう? ほとんどの女性には、辞職することができるという贅沢は赦されないでしょうし、その上、職場から家庭に引っ込むことはなんの解決にもなりません。それは単に女性たちを後戻りさせ、そして職場での家父長制的価値の支配を永らえさせるだけだろうとエルキンスは言います。女性の自由が日本などより格段に認められていると思われるアメリカでも、問題はそう簡単ではないのです。


エルキンスは、〈女性解放運動〉が最近、この問題と取り組み始め、何人かの女性たちは、女性性は単に女性たちを従属させ続けることを目論んだ社会的構成概念であると感じているが、その一方で、他の何人かは、女性性は、もし女性たちが自分の十分な力と本当の自分を発達させるつもりなら包含しなければならない、活気づける力であると信じている、と指摘しています。


現に、様々な職業に就いている多くの女性が女性性を取り戻し、魂により調和した新たな形態と構造を創り出すべく努めているというのです。「権力の地位にある何人かの女性たちは、女性的価値により多くの余地を与える経営スタイル、作業スケジュール、従業員手当、および作業環境を実験しつつある。女性たちは、男たちの規則によって男たちのゲームをすることにうんざりし、そして職場での権力、地位、平等を確保するために彼ら自身の自然な強さを進んで否定する気はもはやない。彼らの多くは、女性性は、男性的な力とは根本的に異なる、ダイナミックな力であることに気づきつつある」。


問題は、すべての男を敵とみなす、やかましい、攻撃的な、雄性化した女としてのフェミニスト・イメージが、「自分の女性的力と深く接触している、強い、自信に満ちた女性」というフェミニスト・イメージに道を譲ることができるかどうかです。が、女性がもはや家父長制的規則によって振る舞わないことを決めた場合、自分がどう行動し、どう感じたらいいかを告げてくれる指針がないため、自分で自分の進路を切り開かなければならないという、一大困難にぶつかります。その上、古い家父長制的構造および態度は、女性たちに問題性を見抜かれたからといって簡単にひるんだりはしないでしょう。


では、希望は? ある、とエルキンスは言い、そして『女性の価値』の著者マリアンヌ・ウイリアムソンの次の言葉を引用しています。


今日、地球上に集合的な力、再生した女性性のエネルギーが出現しつつある。彼女は隅々をのぞき見し、ビジネスを引き継ぎ、子供たちに寝心地よく寝具を掛け、そして男たちをあらゆる仕方で熱狂させつつある。彼女は、われわれの根源でわれわれのことを知っている。彼女は--われわれがそうでないように--雄々しさに欠けているのではない。彼女は、地上でのわれわれの役割を思い出させる。われわれはお互いに愛しあうべきである、という。彼女は、われわれを再生させるためにやって来た。彼女は、われわれをわが家に連れていくためにやって来たのである。



では、女性たちには、この変容を促すために何ができるのでしょう? ウイリアムソンは次のような手がかりを与えています。


私が知っている多くの女性たちは、世間的な職業に十分に従事しながら、自分たちの女性的レーダーに合わせて生きている。彼女たちは、世間的ダンスへの新たな女性参加の道を創り出しつつあるのだ。彼女たちは、自分たちの職業の究極の目的を知っており、そしてそれはわれわれの身体およびわれわれの関係性の目的と同じである。すなわち、女神の仕事をし、新しい世界を誕生させるために自分たちにできることをすることである。われわれが会社を始めるか、子供の世話をするか、映画を作るか、またはスープを作るかどうかは、結局は重要ではない。真に重要なことは、われわれがそれを愛をこめておこなうことである。



現実には、女性であれ男性であれ、女性性を自分たちの人生に溶け込ませることは容易ではないのです。「アニマの道をたどる人々は、魂の価値を減ずる社会としばしば不和なのを感じるであろう。にもかかわらず、女性にとっても男性にとっても、生への鍵は魂--われわれの女性的側面--を回復させ、愛情こまやかに世話することなのである」とウイルキンスは述べています。


前回ご紹介したロニーという女性は、エルキンスとのセラピーを通じて自分の魂を養い、それにつれてより審美的になり、人々、自然、そして聖なるものに同調するようになり、自分の直観と内的リズムにより多くの注意を払うようになっていきました。そして結局、セラピィの終り近くに彼女は辞職することを決心し、そしてニューメキシコ--彼女の新生の霊性をより良く支えてくれるであろうと彼女が信じた場所--に移り住む計画を立て始めています。そしてセラピーの最後に、彼女は浜辺に聖なる岩のサークルを用意し、ウイルキンスをその中に招いて、彼女が選んだ音楽をかけながら、次のように自分の心境をまとめた詩的要約を読んでいます。


私たちは、魂、聖なるもの、あなたの祝福に従うことについて、美、原始的なもの、野生の女、狼、深い女性性について、また、夜、闇、そして光への傾斜について話しました。


私たちは、愛、エロス、官能性、……神と女神、儀礼と儀式、慣習、ボックス、拘束と解放について話しました。


私たちは、夢、空想、想像について、飛行、旅、エッジ、自然、そして老人が通りがかるときに咲く花について話しました。また、シャーマン、芸術家、火、熱情について、女と男について、ユートピア的社会、関係、友情について、創造性について、そして〈存在〉について話しました。


これらの観念、シンボル、そして存在の仕方は、生きることへの私の復活を表わしています。今日私たちを囲んでいるこの聖なるサークルは、あなたとの関係を通じて創り出された新しい生を象徴しています。


さて、私はこれらのことを自分自身ですることをおぼえ、そしてあらゆるものは神聖であること、あらゆるものは意味を持っていることを発見しつつあります。私はまた、奥深くにある永遠の力とエネルギーの源を発見し、そしてそれへの近づき方とその世話の仕方を段々におぼえつつあります。私の魂は私に語りかけ、そして私は彼女に滋養を与え、彼女を養成し、そして彼女と意思疎通する仕方をしきりに探しています。


道は私の前にあり、そして後戻りはありません。
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