コラム〜読書雑記〜

第10回


現在、事務局の重田さんや作家の高瀬さんがチベット問題に熱心に取り組んでいらっしゃることはご存じと思いますし、また4月にはダライ・ラマが来日するそうですが、数年前、そのダライ・ラマがアメリカでのあるインタビューの中で「私は、われわれが--われわれ全員が一緒になって--新しい霊性を見つけなければならないと深く信じます」と述べたと『宗教を超えて(スピリチュアル・レボリューション)』の中でエルキンスが言及しています。この言明は、ダライ・ラマが単に力強いだけでなく、また、非常に柔軟な精神の持ち主であることを物語っています。


前回エルキンスがアメリカにおける霊性革命の未来を力強く予告していることをお伝えしました。彼もまた、まさにその「新しい霊性を見つける」ことこそが急務だと痛感しているのであり、本の内容もそれにふさわしいと思われるので、邦訳のタイトルを『スピリチュアル・レボリューション--ポストモダンの八聖道』と決めました(記念すべきサングラハ第50号がお手元に届くまでには、書店に並んでいると思います)。また、諸富祥彦日本トランスパーソナル学会会長が、非常に行き届いた「解説」を書いてくれましたのでぜひお読みください。


エルキンスの紹介も大分長くなりましたが、この間、肝心の「魂」についてきちんとした説明をせずにきました。これは、ある種の実感や体験に裏打ちされていないような説明はかえって聴く側を混乱させかねず、また語り手の浅薄さを露呈するだけに終わりかねないと思ったからであり、ゆえに、より深い理解のためにはエルキンスの本を読んでもらうしかないと感じたからです。彼は筆者より一歳年下ですが、「魂」「霊」「霊性」「聖なるもの」についての理解においては筆者の大先輩であり、久しぶりに無条件で素直に傾聴する気にさせてくれた稀有の存在です。


そういうわけで、魂についてよりよく知り、理解したい方は彼の本を読んでいただくとして、彼によって触発された者として今後筆者にできることは、実際に自分の魂を養い世話することです。これについてもまた、エルキンスは「道を歩く 霊的成長のための個人的プログラム」を提示し、魂を養い、聖なるものとの繋がりの回復をめざす新しい生き方への親切なガイド役を果たしてくれています。その中で彼は、魂を養う様々な活動のカテゴリーとして、映画、音楽、詩、自然、宗教的・霊的体験、休暇、芸術、文学、場所、食べ物または食事、家族的体験、ロマンチックな体験、性的・エロチック・堪官能的な体験、友情を挙げています。


これらの中から筆者の生活の中で実際にできそうなことはなんだろうと考えたとき、まず浮かんだのは「文学」(評論などを含めて)でした。これはまた、エルキンスが引用している種々様々な文献を補足的に読んでみる必要があったせいでもあります。いずれにせよ、早速手許にある文庫本などを読んでみることにしました。そのうちのひとつは、メレジコーフスキイ著/昇曙夢訳『トルストイとドストエーフスキイ』(創元文庫、1952年)という古い本です。まだ精密にきちんと読んだわけではありませんが、内容はロシアの二大文豪の生活と芸術の検証を通じて「神人と人神」の問題に探りを入れ、「霊と肉」の深淵を見据え、「超人」の出現や来るべき「世界宗教」の可能性を模索するといった、実にスケールの大きなものです。この本を読んだことは筆者にとって益するところはなはだ大でした。


とりわけ筆者は、もし人類が進化するなら、「恐らくあらゆる人が肉食及び動物の残酷なる殺戮を辞退する時が来るであろう」というメレジコーフスキイの言葉に深い感銘を受け、また、その残酷さを示すために「トルストイの論文中、かなり薄弱で論拠の足りなかった一論文で、菜食主義と肉食の節制とを説教した『第一歩』の中に、トルストイの最も偉大なる創造に属する、獣の死を記述した個所が数頁ある」として、メレジコーフスキイが紹介している箇所に深い衝撃を受けました。少々長いですが、一度読んだらおそらく脳裏に焼き付いて離れないであろう、驚くほどリアルな描写なので、ご紹介させていただきたいと思います。



ある日レフ・ニコラーエウィチは荷馬車と一緒にモスクワの近くのある村を馬車で過ぎて行く時、人が豚を殺しているのを見た。「その中の一人が小刀でもって豚の咽喉笛を刺した。豚は叫んで、身を引きもいで、血まみれのままそこから逃げた。私は近眼だから、残らず精確に見たわけではなかった。ただ人間の肉体のように薔薇色をした豚の体を見、その絶望的な鳴き声を聞いたばかりだ。ただし私の馭者は一々残らず認めた。そして目を放さずその方を見ていた。豚は捕らえられ、打ち倒され、そして全く殺された。叫喚が鎮まった時、馭者は重く溜息をついた。『あんなことをして罰が当らないものでしょうか。』とそう独語った。」


二三日の後レフ・ニコラーエウィチはツーラの屠殺所を訪問した。「それは熱い七月の日であった……。仕事は真最中だった。建物の中には暖かい血の重い臭いがいっぱいで、床は全然褐色でぴかぴかしていた。床の凹みには凝り固まった黒い血があった……。私は建物の中に入って戸口に立ち止まった。私がここに立ち止まったのは、あちこちと押しやられる屍のためにそこらが狭いぐらいだったからである。血が下に流れ、また上から滴り、そこにいた屠殺者達は血に染まっていたし、私にしてももし思いきって中へ入ったならば、確かに血に染まるだろうと思ったからである。一匹の、上に吊られた屍は下ろされた。今一つの屍は扉の所へ引きずられた。第三の屠られた牡牛が床の上に仰向けに白い足を拡げて横たわっていた。そして一人の屠者は強い拳をもってその皮を剥いだ。同時に私の立っていた向こう側の扉口を通って一匹の大きな赤い牡牛が連れて来られた。二人の男がこの牛を引っぱった。彼等がやっと彼を引っぱり込んだか引っぱり込まないかに、私は一人の屠者が彼に近づいて頸の所へ一本の剣を刺して、その上を打ったのを認めた。牡牛はあたかも一時に四本足を払われたかのごとくに、腹をついて一方の側へ倒れ、足と後体とでもってそこいらをのた打った。一人の屠者はぐるりを蹴っている足の反対側から牛の前方に身をのせかけて、角を掴んで牛の頭を地に押しつけた。もう一人の屠者は小刀を持って彼の咽喉笛を切断した。紅黒い血が頭の下から迸り出た。一人の血に染まった少年がブリキの容器を流れ出す血の下へ圧しつめた。こんなことをしている間牡牛は絶えず、起き上がろうとするかのように頭をぴくぴくと動かし、そして四本脚で空を蹴った。容器はすぐいっぱいになった。ただし牡牛は依然として生きていた。そして苦しそうに腹を動かしながら、前脚と後脚とをもってあたりを蹴ったので、屠者はそれを側へ避けた。一つの容器がいっぱいになると、少年はそれを頭に載せて蛋白製造所の方へ持って行った。今一人の少年はまた第二の容器を下に置いたが、それも段々いっぱいになってきた。ただし牡牛はまだまだ腹を動かしてそこらを蹴った。血の流れるのが止んだ時、屠者は牛の頭を持ち上げて皮を剥ぎ始めた。牡牛はなおもがき続けていた。頭はむき出しになり、白い条のついた赤いものになった。そして屠者の据えたままの位置をとった。両側には毛皮が垂れ下がった。牡牛はそれでもまだもがくのを止めなかった。やがて屠者の一人は一本の脚を掴んで、それを打ち砕いて切り取った。胴体と他の足とはまだぴくぴくはねていた。残りの足も切り取られて、同じ持主の牛の足がまだ外にも重ねてある上に投げられた。それから牛の体は起重機の所へ引きずって行かれ、そこで横木の上に留めて吊された。最早ぴくりとも動かなかった。--私は後で牡牛の引入れられた扉口の方から入った。ここで私は同じことを一層近く、また、従って一層はっきりと見た。ここでは特に最初の扉口から見なかったことを見た。すなわち、獣がいかに強いられて扉口を通るかを見た。人が牛を囲いから連れて来て、それから角に縛りつけた細引で前から牛を引っぱる度毎に、角を縛られた牛は血を嗅ぎ別けて頑張った。時には吼えて後退りした。二人の男には腕力で牛を引きずり入れることができなかった。だからその度毎に一人の屠者は後の方へ行って、牛の尾を掴んで、それをこじあげ、軟骨が音をたてる位に尻尾の付け根を破った。すると牛は前へ進んだ。」 一匹の牡牛が連れて来られた。それは「純良な美しい若い逞しい、そして勢いの好い黒い牛で、白い斑点があって足も白かった。」彼は長いこと闘って屠者の手から振り切っては逃げた。が、とうとうお仕舞には彼を引っぱってきて頭を型木に入れた。「屠者は狙いを定めて打った。すると美しい生命の漲った牛は地に倒れて、頭と足とをもってあたりを打ち、血が取り去れられて頭の皮を剥がれるまで止めなかった。五分の後には黒い頭はすでに剥がれて、赤くなっていた。五分前まで美しい光に輝いていた両眼は、見据えたままガラスのようになった。」……


それからレフ・ニコラエーウィチは屠殺所の中で、小さな家畜、すなわち羊や子牛の殺される方の部分へ行った。ここでは仕事はすでに終わって、残っていたのは二人の屠者ばかりであった。「一人はすでに屠殺された牡羊の足に息を吹き込んで、膨らんだ腹をぼんぼん平手で打っていた。年のゆかぬ今一人の屠者は、血のはねあがった前掛をして、折れ曲がった紙巻煙草を吹かしていた。一見兵隊あがりと覚しいのが、足を縛った若い小羊を持って来て、それを寝床の上でも載せるように一つの卓の上へ置いた。明らかに屠者仲間の知り合いなるこの兵士は彼等に挨拶し、彼等と話を交えて、いつ親方が休みをくれるかを尋ねた。紙巻煙草をくわえて若者は小刀を持って入って来て、卓の縁でそれをこすり、祭日には休みが貰えると答えた。生きている小羊は死んだように、ふてくされたように、じっとしていた。ただ小さな尻尾を早く振ったり、その脇腹をいつもよりも余計動かしている位であった。兵士は一つも力を用いずにそっと小羊の頭を抑えつけ、若者は話を続けながら、左の手で頭を掴み、そして咽喉笛を切った。小羊はあちこち身を悶えた。尻尾は硬くなった、そして最早動かなくなった。若者は血の流れ出てしまうのを待って、消えた紙巻煙草に再び火をつけた。血は迸り出て、小羊はぴくぴく動き始めた。会話はしばしば中断せずに進んだ。」


「なお日々幾千の厨房では、頭を切られた雌鶏が血塗れになりながら、滑稽にしかも気味悪くそこらを飛びまわり、そして羽ばたきをしているだろう。」





かくして、メレジコーフスキイは言います。「ほんとにこんなことをしても罰があたらないものだろうか?」この疑問はあらゆる読者の心中に覚えず知らず繰り返される、と。そして、「人間よ汝は獣類の王である--re delle bestie--なんとなれば、誠に汝の獣性は最大であるから」という、レオナルド・ダ・ヴィンチ--「肉食」を制し、すべての生物を憐れんでいた、もう一人の偉大なるアリアン人--が日記に書いた言葉を紹介しています。「十六世紀のフロレンスの一旅人は、インドの奥地における仏教の隠遁者のことを物語るにあたって、彼等と同じく『自己の面前に置いてある生ける動物に、さらに植物にすらも害を加えることを許さなかった』同国人レオナルドのことを想いだしている。」


さらに殺生に関連して、メレジコーフスキイは仏教に言及し、次のように述べています。「生ける動物に対するこの古い際限なきアリアン族の憐憫より、仏教は生じた。しかしてそれは堰を破る洪水のごとく、かつて世に存した文化的建物のうち最も強く最も頑固なものを破壊した。すなわち神と動物との隔りよりも一層ひどくバラモン族とパリア族とを容赦なく隔離せるインドの階級を打破したのである。」


もし人間が「一者」であり、また牛や豚や鶏も同じ「一者」であり、共に「コスモス」の構成要素であるなら、「つながりコスモロジー」の自覚は、生皮をむかれて激しい苦痛にのたうつ牛への限りない憐憫を伴うはずであり、さもなければそれは単なるきれいごとに終わるでしょう。


かくして、「徳行はビフテキと兩立しない」というトルストイの言葉に言及しつつ、メレジコーフスキイは次のように預言しています。「もし人々がいつか肉食を制するようになるならば、それはそうあらざるべからざるが故ではなく、ただかく欲するが故である。心情が、自由意志的にしかも抑え難い程その方へ引きつけられるが故である。それが律法なるが故ではなく、自由なるが故である。そして世界はこの自由に、この終局に向かって進んでいる。」


「食事あるいは食べ物」は、このように、魂の世話ないし養成に深く関わっているのです。
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