第29回
一気に春めいてきましたが、読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか?
前回、三沢先生の『“則天去私”という生き方』の出版を機縁にした
『日本人の心のふるさと《かんながら》と近代の霊魂学《スピリチュアリズム》』の出版引き受けについてお話しましたが、ほぼ予定通りに事が運び、先日(3月8-9日)配本いたしました。
これに続いて神尾学著『人間理解の基礎としての神智学』を3月23日に配本いたします。これは昨年9月に刊行した
『未来を開く教育者たち:シュタイナー・クリシュナムルティ・モンテッソーリ…』に続くもので、どちらも神尾さんが発行人で、小社はその販売を委託されたものです。
それから、4月初旬に
『生と出会う--社会から退却せずに、あなたの道を見つけるための教え』(クリシュナムルティ著/大野龍一訳)を刊行予定です。
さらに5-6月頃に『風土臨床 :沖縄との関わりから見えてきたもの--心理臨床の新しい地平をめざして--』の刊行をめざしています。これは2年ほど前に話があり、その後話が途絶えていたのですが、ごく最近急に原稿が揃ったということで送られてきたものです。
『日本人の心のふるさと《かんながら》と近代の霊魂学《スピリチュアリズム》』については、前回近藤先生のプロフィールや「まえがき」などご紹介しましたのでそれをご覧いただくとして、それ以外の3册について簡単にご紹介しておきます。
まず、『人間理解の基礎としての神智学』。これには「日本ホリスティック医学協会」の帯津良一会長の次のような推薦文がついています。
“我らが同志 神尾学氏が提唱する「エネルギー還元主義」
輝ける地球の未来がそこにある。”
「日本ホメオパシー医学協会」の会長でもある帯津先生は、神尾さんが深く関わっている「サトルエネルギ-学会」の会長就任(2003年)にあたり、次のように述べています。「……そして今度は『サトルエネルギー学会の会長』のお話があった時に、どうしたものかと思いました。考えを拡大してみますと、ホリスティック医学は『人間まるごと医学』であり、究極はサトルエネルギーであると考えておりましたので、ホリスティック医学も、ホメオパシ-医学も、サトルエネルギーもみな合い通じるものがあって、サトルエネルギーの深い理解が、二一世紀の新しい医学のポイント(突破口)になるとの考えに至りお引き受けしました。」
神尾さんによれば、サトルエネルギーとは「通常の科学的手法で測定可能なエネルギー以外のもの、すなわち気や宇宙エネルギーとよばれているもの、意識のもつエネルギーや霊的なエネルギーなどを指」しています。欧米でも使われていますが、日本語の場合はsubtle(微細)と「悟り」という言葉をかけ、独自のニュアンスが加味されているということです。
「エネルギー還元主義」はそうした重層的なエネルギー理解を踏まえているのです。これを具体的な協会にからめて言えば次のようになる、と神尾さんは言います。「サトルエネルギ-学会」:物理・化学・農学・建築等;「ホメオパシー医学会」:薬学;「ホリスティック医学会」:医学;「ホリスティック教育協会」:教育;「国際融合文化学会」:民族・言語・芸術等;「地球マネジメント学会」:環境・経営等;「日本トランスパーソナル学会」:心理学 あるいは「フラワーエッセンス/ホメオパシー」「西洋医学」「中国医学/アーユルヴェーダ」「アロマセラピー/音楽・光線・色彩・芸術療法」「心理療法」「ラジオニクス(波動療法)」といった様々な医療。
こうした最先端のものを含む様々な研究や医療動向の中核には何があるのか? それを神智学=秘教をマスターキーとして読み説くというのが神尾さんの意図です。そこで最後に、内容を示しておきます。「第1章 最先端の動きを読み説くマスターキーが秘教だ!」「第2章 秘教-神智学の歴史」「第3章 神智学の全体像-エネルギー宇宙論の三本の軸」「第4章 人間生活の行われる三つの界層」「第5章 死後の旅路」「第6章 再誕生に向けてのプロセス」「第7章 魂の進化」
次に『生と出会う--社会から退却せずに、あなたの道を見つけるための教え』。これは、昨年10月に刊行した『人生をどう生きますか?』、『しなやかに生きるために--若い女性への手紙』と合わせて、「より良き人生のための3部作」の最後の1册とでも言いうるかと思います。本のカバーには、訳者の大野龍一さんの教え子が撮ったきれいな花とうっそうたる樹海の一画の写真をあしらい、タイトルにふさわしいものになっています。
本書は死の前年までの30年間の著述・講話から、クリシュナムルティの数冊の伝記の著者として知られているメアリー・ルティエンスが選出・編集したもので、クリシュナムルティの教えが凝縮されています。その内容は前回(28回)の編集日記に紹介しておきましたので、ご覧になってください。
さきほどの『人間理解の基礎としての神智学』にからめて言えば、クリシュナムルティは人間の心理(精神・心)構造への鋭利な洞察を通じて、人間をおおっている諸々の夾雑物を取り除き、「愛」「慈悲心」として表現される「最も純粋なエネルギー」を解放することを目指したと言えるでしょう。
なお、この場を借りて訃報を伝えさせていただきます。長年クリシュナムルティの紹介に尽力されてきたクリシュナムルティ・センターの高橋重敏氏が、今年1月下旬に92歳で亡くなられました。謹んで御冥福をお祈りいたします。
『生と出会う』の刊行準備中に、「クリシュナムルティの会」の世話人・笹原愛子さんから知らせていただきました。編者も何度もお会いしたことがあり、『しなやかに生きるために』を笹原さんを通じて献本したところ、お礼の電話を受け取りました。その時はすこぶるお元気そうなお声でしたので、まだまだ御活躍を続けてくださるだろうと思った矢先のことでした。
大野龍一さんにこのことを知らせたところ、『生と出会う』の訳者あとがきに次のような「追記」を高橋先輩(小生はそう呼んでいました)の御霊前に捧げたいということで書いてくれましたので、以下に転載して先輩の御冥福をお祈りしたいと思います。
[追記]
本書の二度目の校正作業をしているさなか、クリシュナムルティ・センターを主宰されていた高橋重敏氏の訃報を大野純一氏から知らされた。クリシュナムルティより一年長生きされて九十二歳で亡くなられた由。亡くなられたのは一月下旬のことだったが、密葬で、家族以外の関係者には遅れて知らされることになったとのこと。実業家の高橋さんは自社ビルのフロアをクリシュナムルティセンターとして無料で提供され、ルティエンスによる伝記その他の翻訳はもとより、わが国のクリシュナムルティ紹介の正式な窓口として、全くのボランティアで数多くの利便をクリシュナムルティに関心をもつ人々に提供してこられた方で、わが国でのクリシュナムルティの教えの普及に大きな貢献をしてこられた方であった。個人的にその恩愛をこうむった方々も少なくないのではないかと思う。ここはそういうことを書く場ではないので経緯は省かせていただくが、訳者自身にも高橋さんにまつわる暖かな思い出が一つある。訳者がお目にかかったのは今から十年少し前のことだったかと思うが、とても八十歳の老人とは思えないほどお元気で、その虚飾を全く感じさせない率直気さくで、鷹揚な人柄には強い感銘を受けた。そして親しく実に色々な話をして下さったのであった。訳者は忘れっぽいたちだが、そのときのお話は今でも大方憶えている。訳者はその頃人知れず欝の襲来に悩まされていて、その後一時私生活上の交際をほとんどすべて絶たざるをえないほどひどい状態になってしまったので、賀状のご返事すら書けず、それきりになってしまったのだが、その後回復して、予期せずクリシュナムルティの本の翻訳などするめぐり合わせになったので、一度非礼のおわび方々お会いする機会があればとかねて思いながら、そのままになってしまっていた。
そのとき伺った愉快なお話の一つにこういうのがあった。ある晩、夢の中にクリシュナムルティが出てきたので、これ幸いとばかり、私に何かアドバイスがありますかときくと、「おまえはしゃべりすぎる!」と言われたというのである。そのユーモラスな光景を想像して、訳者は思わずふき出してしまったが、高橋さんは実に楽しそうであった。正直誠実だが、そういう茶目っ気のある方であった。今、高橋さんはクリシュナムルティとどんな会話を交わされているだろうかと思う。それはきっとあの夢の中での出会いと同じく、くつろいだ調子のものだろう。新たに仕入れた「天国ジョーク」か何かをやりとりして、二人して笑い転げているのではないかと、そんな想像さえ思い浮かぶのである(クリシュナムルティが大のジョーク好きだったことは、高橋さんの訳されたマイケル・クローネン『キッチン日記』に詳しい)。クリシュナムルティにとってと同様、高橋さんにも死は恐怖ではなかったろうと思う。よく死ぬことがよく生きることであるという、クリシュナムルティの教えを高橋さんは日常実際に生きようとされていたのだから。
あらためて謝意を表すると共に、おそらくその後最初に出るKの訳書となるであろうこの拙い訳書を、謹んで高橋さんのご霊前に捧げたいと思う。お世話になりました。尚、これは全く個人的なことになるが、訳者は同じこの一月に、子供の頃ずいぶん可愛がってもらった伯母の一人を失いもした。訳者個人にとってはその死もまた小さくはなかった。人は来たり、人は去る。クリシュナムルティが言うように、それは始まりも終わりもない、無限の創造の一側面なのかも知れない。
二月十二日記
最後に『風土臨床 :沖縄との関わりから見えてきたもの--心理臨床の新しい地平をめざして--』。これは一言で言えば、沖縄のある「カミンチュウ」(神人)との交流を通じて得られた知恵を心理臨床実践に活かそうとする新たな試みについての報告です。「治療室」と「風土」を「透き通し」にして、室内に戸外の明るい光やすがすがしい風を入れるようなものとも言えるかもしれません。門外漢が読んでも深く癒してくれる何かを感じることができます。
「風土臨床」というのはいかなるものかについて、編著者の青木真理さん(福島大学教育学部助教授)は「はじめに」で次のように述べています。
はじめに--風土へのまなざしの始まり--
「風土臨床」。この言葉は、二〇〇〇年の六月、筆者が研究仲間に送った e-mail のなかで初めて使われた。筆者は同月の初め、本書の著者のひとりである山本陽子、ほか二名(田中久美子さん、橋本玲子さん)とともに沖縄本島北部への旅をした。その目的は数年にわたって親交を結んできたカミンチュウ、玉城安子さんに会うことだった。玉城さんはその一ヶ月後の七月初め、急逝されたので、直接お会いするのはこのときの訪問が最後となった。
このときの訪問では、自然・社会的環境のなかに成り立ってきた伝統的祭祀は、確実に衰退してきているということを確認した。そのことはそれまでの訪問でも感じてきたことだが、ことさら強く感じた。その確認のなかで、同時に感じたことは、カミンチュウは環境のなかで、環境とともに祭祀を行っていて、環境なきなかでカミンチュウの祭祀は成立しえないということであった。それは同時に、心理臨床に携わる筆者についてもあてはまることでもあった。一対一の心理臨床であっても、それを包む環境なしには成立しえず、その一対一の心理臨床的関係を成り立たせている環境に対しての心配りもまた、必要不可欠なことではないかと考えた。治療室という限定された空間におけるクライエント・セラピスト関係が重要なのは言うまでもないが、それだけに腐心していてよいのか。極端な話、intensive な心理面接のあと治療室を出たら外の世界が崩壊していたというのでは、この心理面接は意味を失う。
環境への心配り、ということを考えたとき、環境という、客体化された対象を意味する概念ではなく、自己を含む関係概念としての「風土」という言葉を使いたいと思った。「風土」のなかでの心理臨床と、心理臨床を成り立たせる「風土」の整えも同様に視野に収めていくような実践的な活動・研究、それを「風土臨床」と呼びたい。そういう趣旨のメールを、筆者は研究仲間に書き送ったのである。その際、人間が突出した存在であるということではなく、山川草木・森羅万象の一部としての人間、魂においてそれらとつらなる「わたくし」を念頭におきたいと思った。カミンチュウが、伝統が確実に衰微するなかで絶望せずにカミゴトを続けてきたという事実に励まされながら、魂のネットワークとでもいうべき、様々な存在との連帯において、心理臨床に関わっていきたいとも考えた。
「風土臨床」という言葉は研究仲間のなかで支持を得、その後、日本心理臨床学会第二〇回大会(日本大学)の自主シンポジウム「気と風土をめぐる臨床」のなかで紹介され、議論を深められた。また、同学会の研究発表、日本人間性心理学会の研究発表でも「風土臨床」を冠した発表を行ってきた。
本書は、上述の自主シンポジウム「気と風土をめぐる臨床」のシンポジストの手になるものである。本書の出版のきっかけは、シンポジストのひとりであった藤見幸雄からシンポジウムを本にまとめて出版したらどうかという提案がなされたことである。この提案に感謝したい。本書の内容は、シンポジウムをもとにしながら、執筆者それぞれがふくらませ、互いに討議するなかで生まれてきたものである。「風土臨床」という、定義のきわめて曖昧な概念に関して、いわばロールシャッハテストの図版に対するごとく、各人の心理臨床の実践に裏打ちされた想像を付与することでできあがったのが各論文である。本書のタイトルを「風土臨床:沖縄との関わりから見えてきたもの--心理臨床の新しい地平をめざして」としたのは、本書が心理臨床に携わる人々の心に響き、新しい心理臨床の movement へとつながっていくことを願ってのことである。
執筆者は青木さんの他、以下の方々です(敬称略):
山本陽子:葵橋ファミリークリニックカウンセラー
山本昌輝:立命館大学文学部教授
橋本朋広:京都ノートルダム女子大学講師
青柳寛之:甲子園大学講師
加藤 清:隈病院顧問医師
また、内容は以下の通りです。
はじめに
第1章 心理臨床家の沖縄研究
第1節 カミゴトの関与観察--玉城安子さんとの出会い--
第2節 夢の叡智
第3節 カミンチュウ(玉城さん)の夢
第2章 沖縄研究と風土臨床
第1節 土地から教えられるもの
第2節 からだと風土
第3節 風土と贈与--自然から受け取り、お返しすること--
第3章 風土臨床の展開
第1節 風土臨床の態度と実践
第2節 風土臨床と心理療法
第4章 沖縄神学と風土臨床
第1節 沖縄神学と風土臨床のあいだ
第2節 住まう(wohnen)ということ
第3節 御嶽のコスモロジー
第4節 祈りと心理療法
おわりに
ちなみに、『日本人の心のふるさと《かんながら》と近代の霊魂学《スピリチュアリズム》』の中で近藤先生は次のように述べています。「信仰には、本来、組織は不要のはずである。かんながら流に考えれば、家の中に質素な神棚があって、地域に氏神、即ちその地域の守護神を祀る神社があればそれで十分なはずで、さらに理想を言えば、霊覚の鋭い霊能者、治癒力の強いヒーラーがいてくれれば申し分ない……」
「風土臨床」という着想が得られる場となった沖縄の一隅には、拝金主義の横行する現代においても神聖さを保ち続けている場所があり、土地の人々によって大切に守られているのです。