コラム〜編集日記〜

第32回


読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか? 前回はメアリー・キャロル・ネルソン[編著]/ドン・ミゲル・ルイス[述]/大野龍一[訳]『恐怖を超えて:トルテックの自由と歓喜へのガイド--ドン・ミゲル・ルイスの教え』が8月22日に刊行されたことをお知らせしましたが、今回は近藤千雄(こんどう・かずお)著『シルバーバーチに最敬礼』が刊行されたことをお知らせいたします。これは3月に刊行された『日本人の心のふるさと《かんながら》と近代の霊魂学《スピリチュアリズム》』に次ぐ近藤先生の第2作目です。これで三沢直子著『“則天去私”という生き方--心理学からスピリチュアリズム』と合わせて、3册のスピリチュアリズム関連書を刊行したことになります。


近藤先生は一時体調が思わしくなかったのですが、最近いわゆる「ホリスティック」な医療を受けて回復され、スピリチュアリズムの紹介に新たな思いで尽力され始めています。今回の新著刊行はちょうど先生の快気祝いなったのではないかと思っています。現在、シルバーバーチの教えに関する入門書を執筆中とのことです(他社から刊行予定)。


本書は、これまで『シルバーバーチの霊訓』や『ベールの彼方の生活』などスピリチュアリズム関連書を多数翻訳紹介してきた近藤先生が、その過程で抱いた疑問に答えるために書き下ろした、ファン待望の書です。


■シルバーバーチ自身は何者だったのだろうか。
■なぜ今世紀になって出現したのだろうか。
■キリスト教を諸悪の根源のように批判しているが、その根拠は何なのだろうか。
■イエスは本当に磔刑にされたのだろうか。 等々……


本書は、シルバーバーチ・シリーズを完訳した今、そうした謎めいたことや「なぜ?」と疑義を挟みたくなることを拾い上げて、可能な限りの資料を駆使してそれらを解明することにより、訳者としての責任を果たしたいという願望から出た企画である。《著者》


本書の内容は次のとおりです。


第1部 交霊会にまつわる「謎」と「なぜ?」


 「謎」その1◇ シルバーバーチの出現は「ある日突然」だったのか?
 「謎」その2◇ なぜこの時代(二十世紀)に出現したのか?
 「謎」その3◇ 霊言集が出版されるに至った経緯にも不可解な「?」が
 「謎」その4◇ 霊言を活字化して公表する問題でなぜシルバーバーチは一言も口を挟まなかったのか?
 「謎」その5◇ なぜ地上時代の身分も姓名も明かさなかったのか?
 「謎」その6◇ バーバネルの死についても「なぜ?」が



第2部 なぜキリスト教を諸悪の根源のように言うのか?


 ●弾圧に正面から立ち向かった人たち
 ●学者としての本分を貫いた人たち
 ●「事実」と「信仰」のはざ間で悩んだ人たち
 ●イエスの実像は? そして今、霊界でどうしているのか?



第3部 資料・文献集


 資料(1) モーリス・バーバネル著:遺稿--「シルバーバーチと私」
 資料(2) フレデリック・マイヤース著「死の真相」--『永遠の大道』より
 資料(3) ジョン・レナード著「「死」の現象とその過程」--『スピリチュアリズムの真髄』より
 資料(4) モーリス・バーバネル著「宗教界による弾圧」--『これがスピリチュアリズムだ』より
 資料(5) 「イエス自ら語った生い立ち」--『イエス・キリスト--忘れられた物語』より
 資料(6) 「青年牧師との論争」--A・W・オースティ編『シルバーバーチの霊訓』より
 文献(1) ハネン・スワッファー著『「あの世」から帰ってきた英国の新聞王・ノースクリフ』
 文献(2) D・ダドレー著『西暦三二五年のキリスト教総会『第一回ニケーア公会議』の真相』



◇ ◇ ◇


『恐怖を超えて』でも「死後の生」が取り上げられていますが、これはこの世に生を受けたとたんに死への恐怖を根源的に抱え込む宿命にある私たち人間にとっての永遠の課題であり、いずれは直面しなければなりません。が、これについては画一的な答えがあるわけではなく、ですからスピリチュアリズムによって明らかにされた「死後存続」に大きな慰めを見い出す人がいる一方で、それでは納得せず、仏教やその他の教えにより多く引かれる人もいるでしょう。あるいは、死後のことはさしあたり不問にして、毎日を精一杯、できれば良いカルマを積むように、さもなければ悪いカルマを積まないように心がけつつ、『四つの約束』にあるように、その都度の状況の中で「常にベストを尽くす」ようにして生き抜いていくことに専念し、死についてはそうした生き方を全うした時に、静かにその時の自分に任せればいいのではないかと思っている人もいるでしょう。そのような人は「あの世」のことをいろいろ思い浮かべたりして思い悩むよりも、今、心静かにして平和に生きるよう心がけるでしょう。


あるいはいわゆる「不老長寿」をめざし、死をできるだけ先延ばしにしようと思っている人もいるでしょう。事実、アメリカでは最近、不老長寿どころか不老不死をめざしている人が増えつつあると、ある雑誌に書いてありました。これについては、『シルバーバーチに最敬礼』で紹介されているジョン・レナード著『スピリチュアリズムの真髄』の「「死」の現象とその過程」という1章中にある次の箇所が参考になるのではないかと思います。


エーテル体と肉体とが完全に融合している時は肉体は若々しく溌溂としているが、やがて高級な生体エネルギーは死後の生活で使用する身体、つまり幽体の充実のために抽き取られ、一方、低級なエネルギーも徐々に使い果たして老化していく。


これは進化の道程における自然な成り行きであって、そうなることが人間の進化にとって望ましいわけである。それが不老長寿の妙薬で肉体的エネルギーを補給することによって若返るということは、思索と内省の時期から再び活動と欲望の時期に逆戻りすることであって、こうした状態をいつまでも続けることは決して望ましいことではない。


進化とは、物質的欲望を体験することによってそれを卒業し、愛と知性と霊性を身につけていくことであって、したがって人間が徐々に若さを失い、肉欲的観念から抜き出て、やがて老衰し死に至るという過程は決して好ましからざることではなく、それでいいのである。


死はそうした物質的感覚の次元から飛躍的にスピリットを解放してくれる。同時にそれが知的ならびに霊的な喜びの世界への大きな門出でもあるのである。


確かに、ある年齢(たとえば還暦)を過ぎたら、余生は「おまけ」ぐらいに思って「思索と内省」に時を過ごす方が賢明なのでしょう。編者としては、たまたま縁があって始めた出版という仕事でベストを尽くしつつ、それ以外は読書で過ごしたいと思っています。というか、このところまったく不趣味で出無精になっており、楽しみといえばたまに近所の古書店に出かけて本を買ってきて読む程度なのです。


最近、森銑三著『瓢箪から駒:近世人物百話』という本を入手しました。森先生は、一般にはあまり知られていない人々の逸事/異聞の収集家として知られている人で、この本は江戸時代に生きた100人の人々の言行録集です。その中に岡尾正恵(おかお・まさちか)という書家が出てきます。(この人については、編者は入手していませんが、童門冬二著『江戸の怪人たち』(集英社)中でも取り上げられています)。この人の言行はなかなかに強烈です。大して長いものではないので、一部現代仮名遣いに改めて全文を以下に転載してみます。


岡尾正恵は庄六と称した。生国はどこだったか分からない。十四、五歳の時に両親に離れてから、京都の商家に縁があって養われていたが、その頃から人がらがしめやかで、よろづにわたってさとかった。それで主人も頼もしく思って、後には家をも譲りたい下心でいた。


正恵は天性手習を好んだ。それで暇さえあれば机に向かい、夜は夜で遅くまでその道に心を尽した。正恵の二十五の歳に、主人が病んで身まかろうとするに際して、かねての思わく通りに、正恵を子として後を嗣(つ)がせようとした。けれども商人となっては利欲を旨として、人にも諂(へつら)わねばならぬ。それは己(おのれ)の堪えうるところではない、そう思った正恵はついに辞退して従わなかった。主人も致し方がないので、家は他人に譲り、五十両の金を正恵に与えて、将来のたつき(たずき:生活の手段)にさせた。 


それより正恵は建仁寺の内の某院の寮舎を借りて住んで儒仏老荘の書に親しみ、なおも手跡を三井寺の尊悟僧正に就いて学んだ。そして数年間風雨をも厭わずに、僧正の許へ通った。かようにして、貰い受けた五十両の金子も尽く書物と紙筆とに使ってしまった。


僧正は示寂するに及んで、正恵の志をめでて、尊円親王から尊朝親王に至るまでの真蹟一櫃を譲った。正恵はそれに依って、更にまた書道の上に悟入するところがあり、ついに御家流を以って一家を成した。正恵の名は次第に聞こえて、就いて学ぶ者が数十人に及んだ。そしてそれらの門人達が申合せて、衣棚出水(ころものたないずみ[京都市中京区に衣棚町というのがあるので、その近辺の地名だと思われる])に似つかわしい家を求めて、そこに正恵を住まわせた。それよりして門人はいよいよ多くなって、正恵は不自由なく暮らしていた。


正恵は物欲に極めて淡かった。人から与えられた金銀は、包を開いて見ることもせずに、これを旧い門人の大文字屋宗清という者に預けて、飲食衣服の資に宛てた。人は妻を娶り子を持ったりするところから、何かの欲も出て来るのだと、そう思った正恵は、某院の寮舎に入った時から、誓って婦女子に近づかず、髪も撫附けにし、名もショウエと音読させて、全くの隠者となった。


更に、衣棚出水に移ってからは、門人や故旧の招にも応ぜず、またわが方へ饗応のために人を呼んだりすることもせず、両親と旧主人との忌日に墓参に赴く以外には、門を出ることすらもしなかった。


門人も十八、九歳以上の既に元服した人ばかりを取った。その人々が定日に清書を持参して教えを受ける。下部(しもべ)が二人あったが、年久しく仕えている間に、それぞれ手習をして、なまなかの書役などは恥入るほどによく書いた。


正惠は毎日卯(う)の始め(午前六時)に起きて、小さな蒲団に安坐して机に向かう。その机にはただ筆硯ばかりが置いてあった。公家達にも正恵の書をお習いになる方々があったが、正夢の方から出かけたりなどしない。それで公家達が自身お越しになる。けれどもさような時にも正恵は送り迎えをせず、一般の門人並にあしらった。


正恵は後には、書物も読もうとしなかった。別に花鳥風月を賞(め)ずるのでもない。茶器その他を翫(もてあそ)ぼうともしない。ただ端座して、泥塑人[でいそじん:土をこねて作った人形。泥人形]の如くつくねんとして居り、夜は戌(いぬ)の刻(午後八時)まで机に向かって、かりそめにも横になったりなどしない。夜寝るのにも蒲団などは用いない。ただ紙子を二つ三つ着て臥せるばかりだった。


かねて正惠を知っていた安藤為章(ためあきら)[江戸中期の儒者・国学者]が、ある時問うた。「かように毎日、ただ坐ってばかりおいでになっては、定めし退屈でございましょう。どうして書物も御覧にならないのですか。」


正恵は答えて言った。「治国経済を旨とする身でもないのですから、儒学の書物には用がありませぬ。地獄を憎み極楽を願うこともしませぬから、仏教の書物にも用がありませぬ。長生きしたいとも思いませぬから、道教の書物にも用がありませぬ。詩や歌も好みませぬから、そうした種類の書物を読もうとも思いませぬ。書物も読むにつれて心に欲が出て、心がせわしなくなります。ですから私はただ昼間は起きており、夜は寝るまでのことです。これまでそうして過ごして来たのですから、それを別に退屈だとも思いませぬ。」


為章はそれを聴いてまた問うた。「では先生は、荘子の座忘[五体から力を抜き去り、一切の感覚をなくして、身も心も「虚」になった状態。「虚心」「無心」の境地]とか、列子の心死とか、禅家の百不思量とか、そういったことを旨となさるのですか。」


正恵は微笑して言った。「どうぞそなたから何とでも名をお附け下さい。私はただ夜寝て、昼間は坐って、生涯を終るといたしましょう。そなたも無駄話は止めて、早く帰って手習なり学問なりなさるがようございましょう。」


為章は手を揉んで退いた。


元禄何年かに、正恵は七十六歳で身まかった。病中にもやはり横臥せず、医薬を用いることもしなかった。


森先生によれば、この話は安藤為章著『年山紀聞』という本の中に出ているものだそうです。為章(年山と号した)は、この頃書店で『続本朝名公墨宝』というものを見たら、その中に正恵翁の筆蹟が載っていたが、その小伝は出してなかった。それでここに些か書きつけたのだと付記し、翁の如きは書に隠れて心性を養った真の隠逸と言うべきであろうとしているとのことです。


この話はあの中島敦の「名人伝」--「不射の射」を体得し、いわば「気」で飛ぶ鳥を射落とすことができるようになり、最後には弓矢という道具自体のことも忘れ去ってしまった中国の弓の名人の話--を思い出させます。このような人は、いわば「究極の脱同一化」を遂げたと言いうるのではないでしょうか。もともの寡欲にさらに磨きをかけて、大いなる内的自由を実現したとも言いうるでしょう。これは、前回ご紹介したヴァレリーの次の言葉を思い出させます。


……私の言う自由な時間とは、普通人が言う意味においての閑暇のことではない。外見的な閑暇はなお存在し、それは種々の法律や、時間を労働によって克服する必要を省略するのが目的である機械的な諸手段の完成によって、自己を擁護し、自己を一般化さえしてゆくのである。一例として、労働時間は法律によって割当てられ、計算せられている。


ただし私が言いたいのは、時間的な閑暇とは全く別である内的な閑暇は、失われつつあるということなのだ。そして我々が失いつつあるこの、存在の深奥の箇所における本質的な平和状態、この貴重な不在とも言うべきものによって、生命の最も微妙な諸要素が相互を刷新し、振作(=作興:高揚、喚起、鼓舞--編者)するのであり、その間において存在は何らかの形で、自己を過去とか未来とかから解放し、現在の意識や、未遂の義務や、待ち構えている予想から離脱するのである。……そこには何らの気遣いもなく、明日もなく、内的な圧迫もない。そしてそこにあるのは、一種の不在における安息、精神がその本来の自由を取り戻す快い休暇である。その時、精神は精神自身についてしか考えない。そして実際的な認識に対しての義務を解かれ、周囲の事物のために思慮することを免ぜられる。精神が結晶体の如く純粋な形象を産するのはその時である。



岡尾正惠という書家は、まさにこのような内的自由の境地にいたのであり、それは傍目には退屈そうに見えるかもしれませんが、実はその正反対で、きわめてクリエイティブなエネルギーに満ちあふれた状態なのでしょう。そして、正恵にとってはその境地自体が大切なのであって、書というのはたまたまその表現手段だったのでしょう。彼は、裕福な商人の暮らしを約束されていたのに、人に諂うことなどまっぴらご免だということでそれを辞退し、結婚して子をもうけることも、人付き合いも極力も避けて、頑固なまでに自在な境地に生きる方を選んだのです。外見は物静かに見えるかもしれませんが、これはきわめて力強い「ネガティブ・アプローチ(否定道)」の見事な実践例だと言いうるでしょう。


そしてもちろん、もしこうした隠逸の人のことを書き残してくれた人がいなかったら私たちはこの奇特な人のことを知り得なかったわけですから、その意味で書物は必要不可欠です。ただ、正恵のような人は、もし読書に耽ることが「知識欲」を刺激するなら、それはエゴを増長させる危険があるという点で物欲に駆られることとなんら異ならないと見抜き、ある時期からは読書もしなくなったのでしょう(ただし、若い頃には儒教・道教・仏教などの書をかなり深くまで読みこなしていたことを忘れてはなりません)。「極楽を願うこともし」なかった以上、たとえスピリチュアリズムのことを教えられても一向に関心を示さなかったことでしょう。


正恵という人の言行からは、やはり人は日ごろから自分の内面も外面も整理整頓し、不必要な所有を避け、常に身軽にしていることが必要であることが痛感されます。物でも知識でも、持てば持つほどますます「もっともっと」という貪欲を刺激し、他方、それに比例して喪失の恐怖が増していくでしょうから、これは当然の心がけなのではないかと思います。あの巨大帝国秦を築いた始皇帝がいかに内面は死の恐怖におののいていたかは周知のことです。


◇ ◇ ◇
 


なお、前回「現在準備中」とお知らせした『学習する自由・第3版』の刊行準備がほぼ終わり、10月中旬ごろ刊行できるのではないかと思います。次回に詳しい内容をお知らせするとして、ここでは「静かな革命家」と言われていたカール・ロジャーズが教育というものにどのような思いを寄せてこの本を書いたのかを示す箇所(第8章中の「あまりに理想的であろうか」という一節)を紹介するにとどめます。ロジャーズのいう「自己実現」がどのような方向をめざすものであったかを垣間見ることができるでしょう。


読者の中には、本章のアプローチ全体--教師は人として生徒に関わりうるという信念--が、見込みのない非現実的なもので、かつ理想的であると感じている人がいるかもしれない。本質的に、教師にも生徒にもお互いの関係の中でかつ主題との関係の中で、創造的であることが、励みになるとはわかるものの、このような目標は全く不可能であると感じるかもしれない。不可能であると感じるのは一部の読者だけではない。一流大学理学部の科学者たちが、また一流大学の学者たちが、あらゆる生徒が創造的になるよう励まそうとすることは馬鹿げている、私たちには並の技術者や労働者が多数必要であり、少数の創造的な科学者や芸術家やリーダーが現れれば、それで十分であろうと、論じるのを聞いたことがある。


彼らにとっては、それで十分かもしれない。それは、あなたたちには十分かもしれない。しかし、私には不十分であると声を大にして主張し続けたい。あらゆる生徒の中の信じられないくらいの潜在力に気づくとき、私はそれを解き放ちたいと思う。私たちは原子と原子核の中にある信じられないエネルギーを解き放とうと懸命に努力しているのである。もし、私たちが同様なエネルギーを--もちろん同程度の資金も--個人の潜在力の解放にささげないならば、物理的なエネルギー資源と人間のエネルギー資源のレベルの間の巨大な分裂のために、私たちは、当然の報いとして、宇宙の破滅へと運命づけられるであろう。


残念ながら、このことに関しては冷静にして、超然としておれない。問題はあまりにも差し迫っているのである。私はただ次のことをあらん限り述べたいだけである。人間が大切である。人間相互の関係こそ重要である。私たちは人間の可能性を解放することが大切なことを知っている。私たちはもっと多くのことを学習できる。そして、もし、私たちが教育のジレンマの対人的側面に強く積極的に注意を払わないならば、私たちの文明は没落してしまうであろう。より良い授業、より良いカリキュラム、より良い教科範囲、より良い教育機器も基本的に私たちのジレンマを解決してはくれないであろう。生徒との関係において、人間らしくある人間こそが、はじめて、この現代教育のもっとも切実な問題に何とか課題解決のとっかかりをつくることができるのである。
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