コラム〜編集日記〜

第33回


読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか? 前回は近藤千雄(こんどう・かずお)著『シルバーバーチに最敬礼』が刊行されたことをお知らせいたしました。『日本人の心のふるさと《かんながら》と近代の霊魂学《スピリチュアリズム》』に次ぐ第2作目です。これで三沢直子著『“則天去私”という生き方--心理学からスピリチュアリズムへ』と合わせて、3册のスピリチュアリズム関連書を刊行したことになります。


おかげさまで、『シルバーバーチに最敬礼』はとても好評で、ある読者から次のような感想が寄せられました。


何という素晴らしい本をこの時期に出してくれたことでしょう。シルバーバーチの本は全冊読みましたが、改めて、霊が鼓舞するのを新鮮に感じ、よろこびに震えております。近藤千雄氏に大感謝! 最敬礼です。ありがとうございました。


(K. Tさん、男性、66歳、無職、神奈川県在住)


ついでながら、三沢直子著『“則天去私”という生き方--心理学からスピリチュアリズムへ』に対しても、33歳の時に父親を亡くされた一女性から次のような感想が寄せられています。


民間の認定カウンセラーではありますが、カウンセリングの勉強を日々続けつつ、私も母親の話し合いの場のお手伝いをしています。私は13年前に父が亡くなった時(今月十三回忌の法要をします)、たくさんのほんを読みあさり、又、色々なメッセージも受け取り、数々の共時性も体験し、「人は死んでも終りではない」ということを知りました。その後もずって本を読み、講演会に行ったりと、精神世界のことを勉強しています。


そういった中、(三沢)先生の本とめぐり合いました。先生の本はカウンセリングの勉強の時、読んでいましたので、あのカウンセラーの方が精神世界に言及されている本を出されているなんてと少し驚きましたが、本を読み、とても勇気づけられ、うれしく思います。先生のような方がこの本を出されたことはとても意義のあることと思います。私も日々、どんな出来事にも感謝し、宇宙の神様を忘れないようにと、生活しています。素晴らしい本をありがとうございました。


(F. K.さん、女性、46歳、カウンセラー及び講師、東京都在住)


スピリチュアリズムは小社としては新しいジャンルです。「あの世」の存在を信じるか信じないかはまったく自由ですが、人間存在の不思議な、深い、謎めいた部分への洞察を与えてくれる点で貴重な領域ですので、これからも機会があれば関連書を出していきたいと思っています。これに関しては、近藤先生がすでに新しい企画を考えてくださっていますので、いずれお知らせいたします。


それから『風土臨床:沖縄との関わりから見えてきたもの--心理臨床の新しい地平をめざして』(福島大学総合教育センター助教授 青木真理[編著]/隈病院顧問医師 加藤清ほか共著)が11月初めに刊行されますので、追って詳しくお知らせいたします。


また、ロングセラー『やさしいフォーカシング』の著者アン・ワイザー・コーネル著『すべてあるがままに--フォーカシング・ライフを生きる』の刊行を準備中です。彼女は北海道(札幌)を皮切りに、東京そして名古屋でワークショップを開催するため来日中です。


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次に新刊ですが、前回「現在準備中」とお知らせした『学習する自由・第3版』(カール・ロジャーズ+ジェローム・フライバーグ[著] 畠瀬 稔+村田 進[訳])がほぼ予定通り10月20日に刊行されました。前回、その第8章中の「あまりに理想的であろうか」という一節を紹介したので、憶えておられる方もいらっしゃると思います。目次や推薦文は新刊案内で御覧いただければと思います。


A5判で624頁と、これまで小社で出したもののうちでは最もページ数の多い大冊です。共著者のフライバーグによれば、『学習する自由 Freedom to Learn』(邦訳『創造への教育』)の初版が1969年に出された後、『1980年代のための学習する自由 Freedom to Learn for the '80s』(邦訳『新・創造への教育』)が1983年に刊行されています。そしてさらにその後のアメリカの教育状況の変化を踏まえ、1994年に刊行されたのが、今回邦訳された本書なのです。原書出版に至る10年間の実践や事例に関する様々な資料がびっしり組み込まれたために、600ページを超す大冊となったのです。


言うまでもなく、アメリカと日本では教育の歴史や状況が大きく異なっているでしょうが、自由と放縦、規律と管理といった問題は大いに共通しているのではないかと思われます。また、「自己実現」や「自己発見」といったテーマ。「自己発見の旅の生涯」という短い項には、次のようなことが書かれています。


自己発見(self-discovery)や自己受容(self-acceptance)や自己表現(self-expression)のこのプロセスは、セラピーやグループだけで行われるものではない。多くの人はこれらのどちらも経験しない。このような経験をするものにとっても、セラピーやグループは、ほんの限られた時しか存在しないのである。しかし、私たちのすべてにとって、ありのままのもっともユニークな人間になる探究こそ、生涯のプロセスなのである。このことは、伝記が非常に多くの読者を惹きつける一つの理由であると私は信じている。私たちは個々人が潜在的な自己を実現しようとして格闘するさまをあとづけたいのである。私にとっては、ちょうど読み終えたところの、芸術家ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keefe)の生涯を物語る本がこれをよく示している。彼女の発展には多くのステップがある。14才のとき、内面的には自立心旺盛で、外見的には慎み深い少女であった彼女は、厳格なカトリック・スクールで、淑女の立ち居振る舞いで金賞を授賞した。しかし、16才の頃には、「仕立てられた、コルセットのない、中西部スタイル」(なんと1903年に)の衣装を身につけ始めた。それは、彼女の生涯の多くの歳月を飾る特徴的なスタイルになった。そして、29才のときには、もっぱら画室に閉じこもり、彼女のすべての仕事を、「非情な超脱」(ruthless detouchment)の姿勢で分析した。彼女は、どの絵画がある教授のお眼鏡にかない、どれが他の教授を喜ばせるかを当てることができた。そして、どの絵が当代の有名な画家の影響を受けてきたかも言うことができた。
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そのとき、ある考えが彼女の中に兆し始めた。彼女の心には今まで教えられてきたものとは異なる、彼女の想像力と一体化した抽象的な形象が存在した。「これぞあなたのもの、あなたに非常に近いわ。あなたは、しばしば、それがそこにあることすら、気づかない。……私は描きたいことの全体像を思い描くことはできても、実際にそうしようと思ったためしはありませんでした。なぜなら、そのようなもの(全体像)などお目にかかったことはなかったからです。……」と彼女は後に説明した。このようにして彼女は、決意したのである。これこそ自分が描きたいものだと。〔文献2, p.81〕


ご想像通り、この決定こそ、彼女が円熟した年令に偉大な芸術家になる最初の一歩になったのである。90才台になっても、彼女は容赦なく砂漠や吹きさらしで白くなった骨や巨大で豪華な花々を彼女独自の知覚で描く目的を追求し、ついには、人が彼女の作品を一目見るだけで、「あれはオキーフだ」と認識できるまでになったのである。


ジョージア・オキーフのように、私たちの一人ひとりが彼または彼女自身の人生の芸術家であったり、建築家である。私たちは他人をコピーすることもできる。他人を喜ばせるために生きることもできるし、あるいは、私たちにとってユニークで貴重なものを発見し、それを描き、それになることもできる。それは一生をかけての仕事である。


前回もご紹介しましたが、教育を通じてロジャーズがめざしていたのは、生徒一人ひとりの中にある創造的エネルギーを解き放つこと、あるいは爆発させるべく助けることでした。もう一度彼の声を聞いてみましょう。


……本質的に、教師にも生徒にもお互いの関係の中でかつ主題との関係の中で、創造的であることが、励みになるとはわかるものの、このような目標は全く不可能であると感じるかもしれない。不可能であると感じるのは一部の読者だけではない。一流大学理学部の科学者たちが、また一流大学の学者たちが、あらゆる生徒が創造的になるよう励まそうとすることは馬鹿げている、私たちには並の技術者や労働者が多数必要であり、少数の創造的な科学者や芸術家やリーダーが現れれば、それで十分であろうと、論じるのを聞いたことがある。


彼らにとっては、それで十分かもしれない。それは、あなたたちには十分かもしれない。しかし、私には不十分であると声を大にして主張し続けたい。あらゆる生徒の中の信じられないくらいの潜在力に気づくとき、私はそれを解き放ちたいと思う。私たちは原子と原子核の中にある信じられないエネルギーを解き放とうと懸命に努力しているのである。もし、私たちが同様なエネルギーを--もちろん同程度の資金も--個人の潜在力の解放にささげないならば、物理的なエネルギー資源と人間のエネルギー資源のレベルの間の巨大な分裂のために、私たちは、当然の報いとして、宇宙の破滅へと運命づけられるであろう。


残念ながら、このことに関しては冷静にして、超然としておれない。問題はあまりにも差し迫っているのである。私はただ次のことをあらん限り述べたいだけである。人間が大切である。人間相互の関係こそ重要である。私たちは人間の可能性を解放することが大切なことを知っている。私たちはもっと多くのことを学習できる。そして、もし、私たちが教育のジレンマの対人的側面に強く積極的に注意を払わないならば、私たちの文明は没落してしまうであろう。より良い授業、より良いカリキュラム、より良い教科範囲、より良い教育機器も基本的に私たちのジレンマを解決してはくれないであろう。生徒との関係において、人間らしくある人間こそが、はじめて、この現代教育のもっとも切実な問題に何とか課題解決のとっかかりをつくることができるのである。


昨年『ロジャーズが語る自己実現の道』(岩崎学術出版社)が、また、今年に入って『ロジャーズを読む・改訂版』(岩崎学術出版社)、『ロジャーズ再考--カウンセリングの原点を探る』(培風館)、さらに『カール・ロジャーズ 静かなる革命』(誠信書房』が相次いで刊行されています。どうやら彼についての再評価の気運が高まっているようです。


わが国ではこのところ、国旗・国歌がらみの教師の締め付けや教育基本法改正への動きに象徴されるように、管理主義への傾斜が目立ってきています。本書がそういった状況の中で、教育の本来の在り方を見極める上で一石を投じるものになってくれることを願っています。


ここでやや蛇足ながら、拙著編訳『クリシュナムルティの教育・人生論』の一節を紹介しておきます。ロジャーズの教育論と呼応していることがおわかりになるでしょう。


……クリシュナムルティが言う教育は、一般に理解されているものとはまったく違い、真に自由で創造的であり、ゆえに誤った価値に対して異議を唱え、はっきりと「ノー」と言いうる人間を生み出すことをめざしている。現在の教育は、表向きはどう言おうと、実質的には大量の自動機械を作り上げることをめざしており、児童に社会への適合を強いるものであって、真の創造性に逆行している。したがって、最後まで適合を拒む人間、例えば徴兵に応じず、兵役を拒否する若者は強制収容されるか、銃殺されるか、あるいは異常者として特別な扱いを受けるかもしれない。現代のように混乱し、腐敗した社会にただただ送り込むというのは、一種の組織的犯罪とさえ言いうる。また、現代社会はますます専門化の道をたどっているので、総合的な英知の持ち主は社会にとって不必要であるばかりか、有害でさえあるかもしれない。


これまでの教育は人間そのものの内面的豊かさではなく、社会的能力、技能、才能を伸ばすことに主眼を置いてきた。すなわち、人間存在全体のうちの特定部分を肥大化させ、それ以外の部分は放置し、未熟なままの、アンバランスな人間を生み出してきたのである。木の全体をバランスよく成長させるかわりに、数本の枝だけを異常に伸ばして、肝心の幹の成長を止めてしまうように、統合した個人が生まれるのを結果的に妨げてきた。専門家、科学者、技術者としていかに有能でも、もし内面的に未熟で、混乱し、暴力的なら、それは様々な破壊的影響を外部に及ぼさざるをえない。現在の教育は、人間に自分の内面的混乱、憎悪、羨望、偏見、野心によって歪んだありのままの姿を認識させ、彼を正気に戻らせるかわりに、かえってそれらを利用し、愛国心を煽り、多くの若者を戦場へと駆り立ててきた。人間を解放するかわりに、悪意に満ちたプロパガンダや恐怖にがんじがらめにしてきたのである。だからクリシュナムルティは次のように言わざるをえないのである。 --- われわれの今の教育は工業化と戦争に直結しており、その主目的は能力を開発させることであり、そしてわれわれは冷酷な戦争と相互破壊の機構に組み込まれている。もしも教育が戦争に行き着き、結局は破壊することしか教えないとすれば、それがまったくの失敗に終ったことは明白ではないだろか? --- 教育の目的は、生の全体を総合的に理解できる創造的人間を生み出すことである。断片的で専門的な知識や情報を身につけて、社会で成功し、出世し、尊敬され、そこで自己実現の満足に浸り、後はひたすら様々な獲得に励むだけの人間ではなく、もっとも根源的な内的革命を遂げた人間、愛のゆえに社会の心理構造を超えたアウトサイダーを生み出すことこそが、真の、新しい教育の目的であるべきなのだ。で、そのためには何よりもまず英知を目覚めさせることが急務である。


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最後に私事に及んで恐縮ですが、訃報を一つお知らせさせていただきます。


この編集日記第30回の冒頭で、4月初旬に『生と出会う--社会から退却せずに、あなたの道を見つけるための教え』(クリシュナムルティ著/大野龍一訳)が刊行されたことをお知らせしたついでに、次のようにお伝えしました。


新緑の美しい季節になりましたが、読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか? 小生は現在黄色いインコ(たぶん雌ですが性別がはっきりわからなかったので、黄鳴児=キナコと命名)を一羽世話しています。数年前のある夕方、本郷の事務所の近くのセブンイレブンの脇を通りかかったとき、店の脇にあった空き箱の上に黄色い鳥がとまっていました。思わずじっと見つめたら、ピョンと肩に飛び乗ってきて離れないので、何かの縁かと思い、そのまま事務所に戻り、それから段ボールに入れて自宅に連れ帰り、部屋に大きな籠を作ってあげました。


実はこのキナコが今月(10月)4日の夕方息を引き取ったのです。いつも元気に鳴いていたのですが、夏頃から具合が悪くなり、9月末頃にはいろいろ薬をやったりして手当てしました。が、しだいに便が出なくなり、苦しそうに目をつむったりするようになり、やがて3日には足が冷たくなってきました。その晩はずっと明け方まで小生の腕に止まらせて温めてやり、そのせいか朝、小生が事務所に行く時には籠の中で一生懸命餌をついばんでいたのですが、それが最後だったようです。夕方心配なので早めに帰ってみると、まだ身体は温かかったのですが、すでに息が絶えていました。


本郷で出会ってから、よく考えてみると8年も経っており、小生の肩に乗っかってきた時の年齢を仮に2歳とすると、10年生きたことになり、これは人間で言うと80歳ぐらいらしく、そういう意味では長生きしたらしいので、それがせめてもの慰めです。


とはいえ、「一粒種」を失ったようなものなので、小生もパートナーもさすがにがっくりしてしまい、数日は食欲がなくなりました。帰宅すると元気な鳴き声が聞こえ、それがとても部屋に明るさを与えてくれていたのですから。現在の借家の小さな庭にサザンカの木があり、その下に毎年花を咲かせるスミレがあるので、いつも食べていた小松菜の大きな葉に餌をたっぷり添えて、きれいにくるんでその脇に埋めてやりました。そして死後、2週間余り経った今も、籠の中に餌と大きな小松菜を添えて、冥福を祈り続けています。


平成18年10月22日
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