第33回
何という素晴らしい本をこの時期に出してくれたことでしょう。シルバーバーチの本は全冊読みましたが、改めて、霊が鼓舞するのを新鮮に感じ、よろこびに震えております。近藤千雄氏に大感謝! 最敬礼です。ありがとうございました。
民間の認定カウンセラーではありますが、カウンセリングの勉強を日々続けつつ、私も母親の話し合いの場のお手伝いをしています。私は13年前に父が亡くなった時(今月十三回忌の法要をします)、たくさんのほんを読みあさり、又、色々なメッセージも受け取り、数々の共時性も体験し、「人は死んでも終りではない」ということを知りました。その後もずって本を読み、講演会に行ったりと、精神世界のことを勉強しています。
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自己発見(self-discovery)や自己受容(self-acceptance)や自己表現(self-expression)のこのプロセスは、セラピーやグループだけで行われるものではない。多くの人はこれらのどちらも経験しない。このような経験をするものにとっても、セラピーやグループは、ほんの限られた時しか存在しないのである。しかし、私たちのすべてにとって、ありのままのもっともユニークな人間になる探究こそ、生涯のプロセスなのである。このことは、伝記が非常に多くの読者を惹きつける一つの理由であると私は信じている。私たちは個々人が潜在的な自己を実現しようとして格闘するさまをあとづけたいのである。私にとっては、ちょうど読み終えたところの、芸術家ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keefe)の生涯を物語る本がこれをよく示している。彼女の発展には多くのステップがある。14才のとき、内面的には自立心旺盛で、外見的には慎み深い少女であった彼女は、厳格なカトリック・スクールで、淑女の立ち居振る舞いで金賞を授賞した。しかし、16才の頃には、「仕立てられた、コルセットのない、中西部スタイル」(なんと1903年に)の衣装を身につけ始めた。それは、彼女の生涯の多くの歳月を飾る特徴的なスタイルになった。そして、29才のときには、もっぱら画室に閉じこもり、彼女のすべての仕事を、「非情な超脱」(ruthless detouchment)の姿勢で分析した。彼女は、どの絵画がある教授のお眼鏡にかない、どれが他の教授を喜ばせるかを当てることができた。そして、どの絵が当代の有名な画家の影響を受けてきたかも言うことができた。
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そのとき、ある考えが彼女の中に兆し始めた。彼女の心には今まで教えられてきたものとは異なる、彼女の想像力と一体化した抽象的な形象が存在した。「これぞあなたのもの、あなたに非常に近いわ。あなたは、しばしば、それがそこにあることすら、気づかない。……私は描きたいことの全体像を思い描くことはできても、実際にそうしようと思ったためしはありませんでした。なぜなら、そのようなもの(全体像)などお目にかかったことはなかったからです。……」と彼女は後に説明した。このようにして彼女は、決意したのである。これこそ自分が描きたいものだと。〔文献2, p.81〕
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そのとき、ある考えが彼女の中に兆し始めた。彼女の心には今まで教えられてきたものとは異なる、彼女の想像力と一体化した抽象的な形象が存在した。「これぞあなたのもの、あなたに非常に近いわ。あなたは、しばしば、それがそこにあることすら、気づかない。……私は描きたいことの全体像を思い描くことはできても、実際にそうしようと思ったためしはありませんでした。なぜなら、そのようなもの(全体像)などお目にかかったことはなかったからです。……」と彼女は後に説明した。このようにして彼女は、決意したのである。これこそ自分が描きたいものだと。〔文献2, p.81〕
……本質的に、教師にも生徒にもお互いの関係の中でかつ主題との関係の中で、創造的であることが、励みになるとはわかるものの、このような目標は全く不可能であると感じるかもしれない。不可能であると感じるのは一部の読者だけではない。一流大学理学部の科学者たちが、また一流大学の学者たちが、あらゆる生徒が創造的になるよう励まそうとすることは馬鹿げている、私たちには並の技術者や労働者が多数必要であり、少数の創造的な科学者や芸術家やリーダーが現れれば、それで十分であろうと、論じるのを聞いたことがある。
……クリシュナムルティが言う教育は、一般に理解されているものとはまったく違い、真に自由で創造的であり、ゆえに誤った価値に対して異議を唱え、はっきりと「ノー」と言いうる人間を生み出すことをめざしている。現在の教育は、表向きはどう言おうと、実質的には大量の自動機械を作り上げることをめざしており、児童に社会への適合を強いるものであって、真の創造性に逆行している。したがって、最後まで適合を拒む人間、例えば徴兵に応じず、兵役を拒否する若者は強制収容されるか、銃殺されるか、あるいは異常者として特別な扱いを受けるかもしれない。現代のように混乱し、腐敗した社会にただただ送り込むというのは、一種の組織的犯罪とさえ言いうる。また、現代社会はますます専門化の道をたどっているので、総合的な英知の持ち主は社会にとって不必要であるばかりか、有害でさえあるかもしれない。
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新緑の美しい季節になりましたが、読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか? 小生は現在黄色いインコ(たぶん雌ですが性別がはっきりわからなかったので、黄鳴児=キナコと命名)を一羽世話しています。数年前のある夕方、本郷の事務所の近くのセブンイレブンの脇を通りかかったとき、店の脇にあった空き箱の上に黄色い鳥がとまっていました。思わずじっと見つめたら、ピョンと肩に飛び乗ってきて離れないので、何かの縁かと思い、そのまま事務所に戻り、それから段ボールに入れて自宅に連れ帰り、部屋に大きな籠を作ってあげました。