第19回 二十一世紀の聖職としての「平和建設」
私たちのほとんどは、自分たちがこれまでとってきた物事への対処の仕方がうまく行かなかったことに気づきつつある。私たちはまだ、どのやり方がうまくいくかははっきりとわからないかもしれないが、しかしどのやり方がうまくいかないかははっきりとわかり始めている。ますます多くの人たちが頭を横に振り、こう認めつつあるのだ。「もっと良い道があるはずだ」と。個人の生活において、企業間の取引において、政治的な駆け引きにおいて、もっと良い道があるはずだ。より良い、より平和的な仕方で私たちの人生を創造し、体験するための道が。
世界の平和建設家とは誰か? 私自身が携わってきた国際的平和建設の仕事を通じて、私はルイーズ・ダイヤモンドが本書中で至ったのと同じ結論--すなわち、平和建設家とは私たち一人一人のことだ、という--に至った。多くの勇気づけてくれる物語と有用なツールに満ちた本書は、私たちの日常生活、家族、コミュニティのなかでの平和こそが、私たちが真に平和に生きられる世界を築くための不可欠の部分であることを理解しているあらゆる人にとっての必読書である。
ネイティブ・アメリカンの世界観には、和解について、また愛の持つ変容を促す力について私がより良く理解する上で役立つ考え方があります。それは、生命の一体性を、そのなかで生きとし生けるすべてのものがバランスよく調和して存在している「聖なる輪(sacred loop)」として語っています。その輪のなかでは、誰一人、他の誰かより上でも下でもありません。誰一人、他の誰かより優れても劣ってもいません。他人を支配したり、抑え込んだり、見下したりする権利は誰にもありません。すべてが同じ一つの聖なる生命の輪の部分であり、で、そういうものとして、敬われ、正しく評価され、そして愛されるに値するのです。
私は、人類がある特定の進化周期の終点に達し、別の周期に入ったと信じています。これがたまたま新しいミレニアムの始まりと一致しており、必然的に大変動と混乱の時期を伴うということは、私にとって完全に意味をなすのです。
米国宗教界は、テロリズムへの戦争に対する四つの主要な選択肢を持っている。
(1) 積極的に軍事行動を支持する。
(2) 沈黙を守り、政府首脳がどんな軍事行動をとることに決めても、それを黙認する。
(3) 政府の政策および行動を批判し、それに積極的に反対する。
(4) 軍事行動への代案を開発し、積極的にそれらを促進する。
(1) 積極的に軍事行動を支持する。
(2) 沈黙を守り、政府首脳がどんな軍事行動をとることに決めても、それを黙認する。
(3) 政府の政策および行動を批判し、それに積極的に反対する。
(4) 軍事行動への代案を開発し、積極的にそれらを促進する。
もし宗教界が四番目の選択肢を選ぶなら、--軍事行動に対する実行可能な代案を積極的に提案するつもりなら、--それを可能にするプロセスが必要になる。厳密にどんなものが必要になるかは、プロセス自体に携わるにつれて知られるようになるであろうが、この時点で一定の広いアウトラインは明らかだと思われる。
(2) それは、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒を含む宗教間的なものでなければならない。
(3) それは、キリスト教諸派を対等なものとして含む超教派的なものでなければならない。
(4) それは、中東および西洋からの軍事、政治およびビジネスリーダーたちを含まなければならない。
(5) それは、中東および西洋で実行可能な現実的、具体的、実際的な行動に焦点を合わせなければならない。
(6) それは、これまで一度も思いつかれたり、試みられたりしたことがないかもしれない、新たな行動および政策を開発できなければならない。
(7) それは、永続的な解決が得られるまで長期間にわたって続けられなければならない。
(2) それは、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒を含む宗教間的なものでなければならない。
(3) それは、キリスト教諸派を対等なものとして含む超教派的なものでなければならない。
(4) それは、中東および西洋からの軍事、政治およびビジネスリーダーたちを含まなければならない。
(5) それは、中東および西洋で実行可能な現実的、具体的、実際的な行動に焦点を合わせなければならない。
(6) それは、これまで一度も思いつかれたり、試みられたりしたことがないかもしれない、新たな行動および政策を開発できなければならない。
(7) それは、永続的な解決が得られるまで長期間にわたって続けられなければならない。