第20回 文明と「野蛮主義」--モラル以前の問題
そして、私たちはポストモダン世界の芸術の状態を懸念しているだろうか? 『5280』という雑誌から。
最も好ましいのは忠義である。最高経営者に対する最近の調査で、彼らの八十六パーセントは自分の部下に望む性質として忠義を重んじている。最も好ましくないのは高潔さである。たった三パーセントしかそれを重んじていない」
最も好ましいのは忠義である。最高経営者に対する最近の調査で、彼らの八十六パーセントは自分の部下に望む性質として忠義を重んじている。最も好ましくないのは高潔さである。たった三パーセントしかそれを重んじていない」
恐るべき暗い夜が地上を包み、遠くに赤い焔が輝いていた。
近づくにつれ、奇妙で空想的な人物の姿が見えてきた。
私は彼らが庭園にいた男女と同じ人間であることを知った。しかしいまや彼らは角と尻尾を持ち、その先には火がついていた。
「これが墜落と弱さの情景だ」と〈声〉が言った。
「嘘と邪悪さの光景だ。
「彼らはあの男女だ。彼らは自分の力を信じたのだ。自分は善と悪を知っていると考えたのだ。彼らは弱さを強さと取り違え、〈欺き〉が彼らを従属させたのだ」。
「私は〈邪悪〉だ」と彼は言った。「もっとも邪悪というものがこの世に存在する限りにおいてのことだが。私を知るには、いびつで、間違った、狭い見方をする必要がある。三つの道が私へと導く。欺き、疑惑、告発だ。私の美徳は中傷と悪口だ。私は三角形の一辺で、他の二つは〈死〉と〈時間〉だ。
「この三角形を逃れるには、それが存在しないことを知りさえすればいい。
「しかしどうやってそうするかを教えるのは私の仕事ではない。
「私は〈邪悪〉だ。人間は自分を正当化して、自分自身の罪をなすりつけるために私を発明したのだ。
「私は〈嘘の王〉と呼ばれている。まったくその通りだ。私は人間の嘘が生んだ最大の作品なのだから」。
近づくにつれ、奇妙で空想的な人物の姿が見えてきた。
私は彼らが庭園にいた男女と同じ人間であることを知った。しかしいまや彼らは角と尻尾を持ち、その先には火がついていた。
「これが墜落と弱さの情景だ」と〈声〉が言った。
「嘘と邪悪さの光景だ。
「彼らはあの男女だ。彼らは自分の力を信じたのだ。自分は善と悪を知っていると考えたのだ。彼らは弱さを強さと取り違え、〈欺き〉が彼らを従属させたのだ」。
「私は〈邪悪〉だ」と彼は言った。「もっとも邪悪というものがこの世に存在する限りにおいてのことだが。私を知るには、いびつで、間違った、狭い見方をする必要がある。三つの道が私へと導く。欺き、疑惑、告発だ。私の美徳は中傷と悪口だ。私は三角形の一辺で、他の二つは〈死〉と〈時間〉だ。
「この三角形を逃れるには、それが存在しないことを知りさえすればいい。
「しかしどうやってそうするかを教えるのは私の仕事ではない。
「私は〈邪悪〉だ。人間は自分を正当化して、自分自身の罪をなすりつけるために私を発明したのだ。
「私は〈嘘の王〉と呼ばれている。まったくその通りだ。私は人間の嘘が生んだ最大の作品なのだから」。
野蛮人は棍棒で敵を殺す。文明人はあらゆる技術、爆弾、電気、飛行機、潜水艦、毒ガスなどを利用することができる。これらの破壊と殺戮の手段は進化した棍棒以外の何物でもない。ただ破壊力が違うだけである。破壊と暴力の手段の発達が野蛮人の文明である。
あなた方は自分たちが、言うこととなすことのちぐはぐな偽善者であると感じていらっしゃる。そのことは政治家や僧侶たちの場合には必然的に理解できます。けれども他の人たちもやはりこの偽善的世界に入っていこうとしており、ぼくはそれがどうしてもふにおちないのです。あなた方の道徳は腐臭を放っています。あなた方は本当は戦争を望んでいるのです。
われわれは、「それはすばらしい! 全くそのとおりだ」と讃した。世間で認められた道徳は市民的体面の道徳であり、それゆえそのようなすべての道徳を否定することこそ、真に道徳的なのである。しかし、われわれは実際には、世間の尊敬を受けようと必死になっているのではあるまいか。そして世間の尊敬を受けることは、腐敗した社会でよき市民として認められることである。世間でのよい評判は非常に有利に働くもので、それは当人によい仕事と安定した収入を保証する。貪欲、羨望、憎悪をその中味とする世間公認の道徳こそは、既成秩序のあり方と同じなのである。
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牛の顏拭く
卯月かな
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