コラム〜読書雑記〜

第22回 二種類のナショナリズムと人間の解放--竹内好著『アジアと日本』その他から


意見は人と人とを分かつが、事実は人と人とを結びつける。
--クリシュナムルティ


今回のような大きな特集のテーマ(「日本の歴史を考える」)について何か言うのにおそらく最も不適格な人間であることをあえて認めつつ、それでも最近やたらと耳にする「ナショナリズム」という言葉に何か不吉なものを感じる「こんな国」(筑紫哲也)の住人の一人として、また明治以来のこの国の歴史についてのまったくの無知を恥じつつ、痛烈な反省の念を込めて少しだけ書かせていただければと思います。


そもそも過去について語るには、未来に対して多少なりとも希望がなければならないと思います。例えば、『〈ワン・テイスト〉・下』の中で、ウィルバーは「創造的文化人」に関連して次のように述べています。


私の意見では、人口の24%が深い変容的、超個的な霊性に取り組んでいることはない。『アクエリアン革命』や『統合的文化』によって主張された数字とは程遠く、およそ1%ぐらいだろう--それでもなお数百万人!


その1%を除いて、残りの人口は以下を通して彼らの正統性を求めている。(1) この文化でいまだに巨大な勢力を持つ伝統的神話的な(聖書)宗教。(2) 伝統的な共和主義あるいは市民的人道主義。アメリカでは、神話的な聖書宗教と密接に結びついている。(3) 教育を受けたエリートの宗教である世俗的科学。(4) 科学と密接に結びついている政治的な自由主義。(5) 退行的なニューエイジ運動、(6) 「個人中心的市民宗教」。


「創造的文化人」たちを私たちがどう捉えようと、私は一つだけ彼らについて(つまり、私と同世代について)高く評価していることがある 私たちは、非常に広範囲にわたって、変容的な真正の霊的解放という概念を真剣に受け止めた最初の世代なのだ。私たちは東洋の神秘主義を前例のない流儀でここに持ってきた。私たちはキリスト教とユダヤ教が神秘的なルーツに戻ることを迫った(グノーシス、エックハルト、ルリア、カバラなど)。私たちは単なる教義ではなく、直接的な霊的体験を要求した。私たちは『ビー・ヒア・ナウ』によってほとんど定義された世代であった。私たちはそうしたすべてを少なくともより大きな可能性の観念として持っていた。私たちは、最良の意味そして本当の意味で、すべての慣習を打倒し、その境界を超え、それによってそれまでの世代が夢見ることしかできなかった自由を得た。


ああ、そうしたすべては、観念として残っているだけだ。コーヒーを飲みながら、タバコを吸いながら、禅のあれこれ、タオのあれこれについて果てしなくしゃべり続けているのだ。真に世界を超越し輪廻から解脱するために、実際に禅を実践すること、厳しい瞑想実践に少なくとも六年間を費すことは、それとはまったく違う。今後数十年で、私たちは慣習を抜け出すのではなく、真の超越や真の変容的実践をあきらめ、「個人中心的市民宗教」の助けを借りて、市場に再び戻っていく可能性もある。禅の十牛図の第十図ではなく、第一図に戻ってしまうのだ。実際、私たちはヤッピーになり、資本主義の猛威と共に自己に対する強迫観念を運んでいる。あるいは、私たちは自らの霊的な衝動を粗大領域だけに閉じ込め、哀れなガイアを唯一の〈神〉に仕立て上げた。一般的に言って、私たちは「ロマンチシズム」--自己に対する水平的強迫観念--に逃げ込んでいる。そして真の「理想主義」--自己の垂直的超越--を放棄してしまった。そして、「個人中心的市民宗教」の助けを借りて、私たちは見え透いた言い訳全体を合理化し、長い一日と孤独な夜を通して自己に対する強迫観念を癒してくれる汚れたビジネスの世話になる。


しかし私は、少なくとも真の超越が可能であるとする観念を持っている人口の24%から、実際に超越しつつあり、単なる翻訳/変換的な霊性あるいは一時的な至高体験ではなく、真正の実践、高原体験、持続的な実現に実際に取り組んでいる1%が生まれたという事実を認めている。人口の1%--数百万の人々--が実際に真正の超越を実践することに情熱を抱いているというのは、いかなる文化においてもきわめて稀なことであり、これは私の世代が世界に与える本当の贈り物と言えるのではないだろうか。


人口比率で言えば圧倒的に少数ながらも、自己中心的スタンスから脱慣習的、自集団・自文化・自世代・自民族・自国家中心的スタンスを経て、世界中心的スタンスに立って生きる存在への内的成長・発達・超越に努めつつある人々が増え、「正義の味方」として独善的に世界を支配しようとしているアメリカの軌道修正の下支え役を果せば、少しは明るい未来への展望が開けてくると思われます。


また、『平和への勇気』の著者ルイーズ・ダイヤモンドも、世界は、古い秩序側の様々な悪あがきを伴いつつ、全体として「支配者型」から「パートナーシップ型」の生き方への転換を今まさに経つつあり、その過程で「平和建設」がフロンティア的役を果たしていると力説しています。



ところで、サッカーW杯の放送で日本中が沸き返っていた六月十六日、電車の中に読み捨てられていた「東京スポーツ」に何気なく目を通すと、「日本人の愛国心も成熟した」という小見出しのついた、学習院大学の篠沢秀雄文学部教授の発言についての次のような記事が載っていました。


熱狂的応援で何かと話題の日本人サポーターについて「若者がともに国歌を歌って応援するのは素晴らしい、今までわが国ではそういうことをすると、変に国家主義だと批判する風潮があったが、世界の国々でのサポーターが自国を懸命に応援する姿勢を見て、当然のことだとやっと気付いたのではないか。愛国心、応援もやっと国際レベルになった」と評価した。


加えて、サポーターたちの応援姿勢を絶賛。「前回のフランス大会の時からそうだが、日本人サポーターの礼儀正しさに世界中が感心している。日本でさしたる事件が起こっていないのは、世界大戦の敗戦を通じて負けを受け入れる精神が確立しているから。前回覇者のフランスが敗退して、パリで暴動が起こらなかった理由も同じ。わが国は、王者フランスに劣らない成熟した愛国心を持っている」。


篠沢先生のこの発言に対してサングラハの皆さんはいかが思われるでしょうか。残念ながら、日本の若者の多くは自国家・自民族中心的スタンスというよりはむしろ、それ以前の自己中心的スタンスに立っているのではないかと推察され、今回はたまたま「思ったより強い」日本チームに「にわか同一化」しただけなのではないでしょうか。


これは、私たちの先輩の多くが戦後急いで軍服や和服をタンスの奥にしまい込んで、「にわか民主主義者」に変わったのと同様なのではないでしょうか。岡野主幹著『自我と無我』(PHP新書)中に、狂信的なまでの天皇主義者で、当時軍神と称えられていた杉本五郎という人が書いた『大義』(昭和十三年初版、平凡社)が最終的に百二十三万部売れたという話が出てきますが、そうした戦争中の多くの日本人の精神状況を考えると、いかにとてつもない変わり身の早さかがわかります。


結局、「戦時下サブパーソナリティ」は死んだわけではなく、ただうやむやにされたままタンスの奥に押し込められているだけなので、例えば小林よしのりといったハーメルンの笛吹きに呼びかけられると、「にわか民主主義サブパーソナリティ」の下から顔をのぞかせようとするのではないでしょうか。


よく考えてみると、自分の国を愛するというのはかなり大変なことです。もし自国を本当に愛していれば当然国土とその上で生きているものを大切に思うでしょうから、タバコのぽい捨ても、使用済み家電やポケベルの不法投棄もしないでしょうし、森や山や川や海を有害物質で汚したり、自分たちが残した大量の廃棄物の処理責任を厚顔無恥にも次世代の若者たちに転嫁しようとしたり、ペットや妻子を虐待したり捨てたり、貴重な高山植物をこっそり持ち帰ろうとしたりせず、環境を大事に守り育てようとするはずです。あるいは、先祖から受け継がれてきた美しい黒髪をどう見ても似合わない茶色に染め変えたりしないでしょう!(「脱亜論者」「名誉白人」の子孫たち!) 逆に善因善果悪因悪果の教えをきちんと守り、真に品位ある人間へと自分を成長発達させるべく「自己選択」し、「自己決定」するのではないでしょうか。 


今回のサッカー観戦ではマナーが良かったのかもしれませんが、しかそれはたまたまであって、周知のように、総体としての日本人のマナーの悪さはむしろ世界の恥と言っても過言ではない域に達しているのではないでしょうか。というわけで、篠沢先生には失礼ですが、こういったことをすべて踏まえた上でのご発言ですか、とちょっとからかってみたくなります。



ところで、私たちが当事者だったわけではない過去の歴史について語る場合、なるべくバイアスのかかっていない、対象への愛というか包容力が感じられる公正な資料に依拠することが不可欠だと思います。さもなければ、「歴史教育を考える会」とか小林よしのりといったイデオローグたちの餌食になってしまうでしょうから。この点で不勉強な筆者にとって貴重な資料を提供してくれたのは、竹内好著『日本とアジア』(筑摩書房 一九六六)です。これはナショナリズムや現在の日中関係を考えるためにも必読書ではないかと拝察いたします。ここでは文字どおり受け売りですが、その一部を紹介させていただきます。例えば「アジアのナショナリズム」という、決定的に違う二種類のナショナリズムについてのエッセイ。以下はほぼそのままの引用です。


一九五五年の春、アジア・アフリカ会議の開催にあたって、インドのネルー首相が「この会議で何が論議されるかということより、こういう会議が開催されること自体が重大だ」と述べた。この一言は、アジアが世界で発言力をもつようになった今日の新しい動きを、端的に言いあらわしている。


アジア諸国を結びつけている連帯意識は、ナショナリズム(民族主義)と呼ばれている。このアジアのナショナリズムは、西欧が経てきたナショナリズムとは質的に違う。後者は、資本主義の発達と不可分であって、自由競争の原理の上に立っている。個人間におけると等しく、国家間にも優勝劣敗の法則が支配することを認め、それが人類の進歩をうながす唯一の原動力だと考えるのである(この型のナショナリズムを徹底的に押し進めてきた最大の国がアメリカ)。 アジアのナショナリズムはこの考え方を否定する。例えば、中国における近代国家形成の指導者であった孫文は「中国は世界に対していかなる責任を負うべきであるか」という設問を発して、みずからこう答えた。


「いまや世界列強の歩んでいる道は、他の国を滅ぼす道である。もし中国が強大になった場合に、やはり他の国を滅ぼそうとし、列強の帝国主義を学んで同様の道を歩むならば、それは彼らの轍(てつ)を踏むことになる。ゆえにわれわれは、まず最初に、弱きを助けるという政策を決めておかなければならぬ。」(『三民主義』)


アジアを圧迫している帝国主義の力を除くには、みずから帝国主義を採用するか、それとも世界から帝国主義を根絶するか、この二つしかない。アジア諸国の中で、日本は前者を選び、中国を含む他の多くの国は後者の方向を選んだ。排他的ナショナリズムではなく、弱者の連帯のナショナリズムを選んだのである。


これと同様のことを、人間観において示したのが、近代文学の建設者である魯迅であった。魯迅の中心思想をあらわす警句に「ドレイとドレイの主人とは同じものだ」というのがある。ドレイは主人に支配されることによって自由ではないが、ドレイを支配する主人もまた、支配することによって自由を失っている(共依存!)。したがって、ドレイが自由人になるためには、みずからドレイ所有者に変わるだけは不完全であって、支配被支配の関係そのものを排除しなければならない(支配型の生き方の克服!)、というのである。


このような人間観は、自由競争を前提とした個人主義的人間観とは対立する。個の独立は、排他的に行われるのではなくて、他との協調関係の中で打ち立てられると考える(パートナーシップ型の生き方!)。現に中国に実現しつつある新しい人間像は、そのようなものである。たとえば、中国革命のエネルギーの源泉である土地改革に際しては、封建的な土地所有関係を打破するだけでなく、それを通じて人間の意識内容が変革されることが要求されている(傍点筆者)。しかも農民からドレイ根性をなくすというだけでなしに、地主からドレイ根性の裏返しである支配者根性をなくすことが同時に強調されているのである。


日本の場合は、みずからのドレイ根性をなくさぬまま、主人に成り上がろうとし、その過程で同じドレイとして本来連帯すべきだったアジア諸国民、とりわけ中国・韓国人に手酷い仕打ちを加えたわけです。ドレイは他の国のドレイに対して最も残忍になりうるのです。E・H・ノーマン著『日本における兵士と農民』には、次のように書いてあるそうです。「みずからは徴兵軍隊に召集されて不自由な主体である一般日本人は、みずから意識せずして他国民に奴隷の足枷を打付ける代行人となった。他人を奴隷化するために純粋に自由な人間を使用することは不可能である。反対に、最も残忍で無恥な奴隷は、他人の自由の最も無慈悲且つ有力な剥奪者となる。」ですから、支配被支配の関係そのものの排除へと向かおうとする意識変革が不可欠なのです。


そこで次に、そのような方向をざした運動に触れてみたいと思います。『新潮45』に現在連載されている高山文彦著「「部落解放の父」松本治一郎伝【第二部】」には、次のような箇所があります(5月号)。これは、昭和六年当時、共産党の影響下で「水平社」を解散させようという動きがあり、それに対して、水平社中央委員会議長としての治一郎が、共産主義の影響を受けた後輩の北原という若者と議論した時の心境を綴った部分です。


「労農運動も水平運動の一翼であると思って進んだ」と語る治一郎の胸には、水平運動とはなにも非被差別部落民の解放だけを目指そうという独善的で偏狭な運動ではなく、部落外にある人びとも階級的苦しみにあえいでいるのなら、ともに手をたずさえて人間解放を克ちとり、「人類最高の完成」を目指そうという遠大な思想であったはずだとの思いが横たわっていたことだろう。まして差別される側だけでなく、資本家や貴族、軍人をふくめた差別する側の解放も期さなければ、「人類最高の完成」など望めはしない。治一郎の水平主義とは、むしろ北原が指摘したような排他主義からはるかに遠くかけ離れた、人類共同の楽園を求めるこころのことではなかったかと私は思う。 


北原をはじめとする解消派の考えに、治一郎は共産党の影響を見ていた。「始めの綱領を理解して居ればそんな考えにならないのではないか」と、すでに改正されていまでは破棄されてしまっている創立時の綱領をわざわざ引き合いに出して言ったのは、スパイまで放って水平社を崩壊させようともくろむような共産党の非人間的な理論に頼っていては、「人類最高の完成」など望めはしないと北原を諭していたのである。


昭和七年七月十日、共産党の非合法機関紙「赤旗」に掲載されたモスクワのコミンテルンの決定「日本における情勢と日本共産党の任務にかんするテーゼ」が発表され、日本共産党はそれへの対応の一環として水平社の崩壊をもくろんだのです。要するに、モスクワの「ご本家」の意向に沿い、指令に従うべく汲々としていたのです。これは現在の自民党政権がアメリカの顔色をうかがい、その意向に沿うべくびくびくしているのと同様です。つまり、当時の共産党は自党派・自集団中心的スタンスを一歩も抜け出ていなかったのです。


それに対して部落解放運動は、その究極目標として支配非支配関係の排除を通じての「人類の解放」を掲げることによって、少なくとも創立当初は理念的に世界中心的スタンスに立ったのであり、その点で共産党を超えていたのです。


ついでに『被差別部落一千年史』(岩波文庫)という本があることをお知らせしておきます。ご存じの方も多いかと思いますが、部落解放運動に携わる人々にとっての聖書とも言うべき三五〇ページのこの本を、著者の高橋貞樹は一九二四年に弱冠十九歳で書き上げたのです。それだけでも驚きですが、それだけではなく、全編に人間解放への情熱がみなぎっているのです。そこで一九二一年に創立された水平社の綱領をご紹介しておきます。そこには、小菅刑務所に在獄中にわずか三十歳の若さで病死した彼とその同士たちの思いが込められているです。


綱領
一、我々特殊部落民は部落民自身の行動によって絶対の解放を期す
一、我々特殊部落民は絶対に経済と自由と職業の自由を社会に要求し、以て獲得を期す
一、我々は人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に向かって突進す


さらに、「宣言」の中で次のように「兄弟」たちに訴えています。


兄弟よ。


われわれの祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、温かい人間の心臓を引き裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた。呪われの夜の悪夢のうちにも、なお誇り得る人間の血は涸れずにあった。そうだ、そうしてわれわれは、この血を享けて、人間が神にかわろうとする時代にあったのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。


われわれがエタであることを誇り得る時が来たのだ。


われわれは、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって、祖先を辱め人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさがどんなに冷たいか、人間を労る事が何んであるかをよく知っているわれわれは、心から人世の熱と光を願求礼讃するものである。


水平社は、かくして生まれた。


人の世に熱あれ、人間に光あれ。



沖浦和光氏の「解説」によれば、優れた業績を残したにもかかわらず高橋貞樹がほぼ忘れ去られてしまったのは、彼が「転向者」だったからでした。が、「彼の転向は、佐野学・鍋山貞親らの当時の日本共産党首脳部の、天皇制権力への屈服的回心とは同一の次元では論じることはできない。その際に発表した彼の意見書は、当時のコミンテルン=ソ連共産党の中枢を握っていたスターリニズムに対する正面からの批判であった。労農大衆の意識と動向を無視した官僚主義的引きまわし主義と、唯我独尊的なセクト主義についての根底的な批判から出たものである。今日からみればソ連共産党が指導する世界革命路線の誤謬をいちはやく指摘し、その前途には人間の全面的解放への希望はないことを予測した達見であった。もし彼がそのままずっとモスクワに滞在していたら、コミンテルンの戦略を批判する異端派として粛清されていたかもしれない。」さらに沖浦氏は別の箇所で次のように述べています。


「いろいろ関連文献を読んでいると、彼の転向は決して天皇制ファシズムへの屈服ではなかったことがはっきりしてきた。その意見書は、当時の党指導部の独断的セクト主義と大衆から遊離した空疎な運動方針への批判が主たる内容であった。高橋は下からの大衆運動の構築をなによりも重視し、コミンテルン=ソ連共産党による硬直した公式主義と独断的なセクト主義を根本から批判する。大衆の中での自己批判をおしれない精神こそが真の革命的方法であることを強調する。そして、社会の変動を精緻に見定めながら、理論水準の上昇による運動者全体の主体形成の必要を説くのであった。コミンテルン体制の欠陥について大胆に指摘した高橋の思想的先駆性については、改めて評価されねばならないと思った。」
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